仙台の知られざる「エス」のこと
以前書いたことがあったか定かでないが仙台には「エス」という店がある。
この店は仙台市青葉区五橋2丁目に建つビル、「レジオン五橋Ⅱ」の2階の一角を占める。仙台駅からは歩いて20分弱、地下鉄五橋駅からは5分くらいで着くとみられる。思わず怯むような臭いのする狭い階段を、用心しいしい上がっていくと右手にアジア食材店、そして左手にその小さな店がある。
さっきから「店」と曖昧な表記しかしないのは訳がある。
私はここに通いはじめた当初、エスを古本屋だと思っていた。
しかし店主曰く、じぶんはレコードを中心に扱っているつもりだという。
だがきのう訪ねてみたらヴィンテージの食器が豊富に並んでいた。
行くたびに近くのコンビニに缶ビールを買いにいかされる。
乾杯してふたりで酒気を帯びたところで巧妙に商品を勧めてくる。
そして私がきのう買ったのはたくさんの食器とロッキングチェアだ。
ついでに文庫版の山尾悠子『歪み真珠』も買ったという次第。
訳がわからない。訳がわからないから「店」と呼ぶほかない。
エスは齢五十代ぐらいの店主が大学卒業後に開いてから数十年の歴史を持つ老舗である。老舗なのだがGoogleマップに載っていない。隣のアジア食材店「The Asian Mart」、そして一階の「担々麺たかはし」といった比較的新しい顔ぶれは載っているのにも関わらず。そしてスマホを持つ必要を店主が少しも感じていないため各種SNSはひとつも展開されていない。パソコンは知人から譲り受けたものを使うことが多いが通販事業を手掛けているでもない。ひとがエスの存在に気づくためには、表の五ツ橋通りに向かって開かれた窓の裏に架かる、煙草と経年とで煤けた「USED BOOKS RECORDS」云々と書かれた小さなタペストリーを目ざとく見つけるしかない。
絶無に等しい訴求力にも関わらず、エスは細々と店を開きつづけている。
さぞ飄々とした人柄かと思いきや、「年々どんどん金がなくなっていく」「調子は上々かって? いいことなんて一つもないよぅ」とぼやいている。日に5リットル近くビールを飲むこともあるという恐るべき鯨飲ぶりに加えて愛煙家でもあるから出費が嵩むのだろう。だからといって控えるそぶりは見られず、私が本を買ったそばからその代金でビールや焼酎、日本酒を欲しがる。良心的を越えて破滅的でさえある価格設定で稼いだ金でさっそく呑んでいいのかと私が要らぬ不安を催す。そうして棚をもう一回見渡して、二つ三つ追加でものを買ってしまうから、まあ、大丈夫なのかもしれない。
いつも、どこかしら珍奇な身なりで、ドワーフのように座っている。
6年近く、四半期にいちど訪ねるぐらいの頻度で通っているあいだに2人、ほかの客を見た。ひとりは古くからの常連客であるらしく、藤崎で買った寿司の包みを携えてやってきた。彼女は特になにを買うでもなく、落語家かのように流暢に毒舌を撒き散らしていた。食べ盛りの私が寿司を全量頂戴している間、いつも饒舌な店主は借りてきた猫のように寡黙になっていた。女性は人斬りのごとき眼光を眼鏡の向こうにぎらつかせて言う——「私はこいつの審美眼だけは高く評価している」。終始何者か定かでないこの人物に気圧されながら、私は銀座や国分町のうどんの名店を教えてもらった。
ふたりめは彼女が去ったあとすぐに来た。彼も彼で常連であるらしく、音楽業界で働いているような旨のことを言った。いまひとつ決め手に欠けたようで特になにを買うでもなかったが、しばらく店主と語らって帰った。帰り際、バッグからカレーパウダーを取り出して食べ盛りの私にくれた。謎だ。
それ以外はだいたい店主とふたりきりである。
ぷかぷか紫煙くゆらせる彼と、不定形の会話を繰り広げる。
いちど高校の友人を連れて入ったことがあるが、毒気にあてられた彼がひどく萎縮してしまったのを申し訳なく思って以来、誰も誘っていない。大学の研究室の面々を誘って繰り出す書店めぐりのコースにもまだ組み込んでいない。たぶん、主に文学・哲学・音楽方面の、いくぶんニッチな関心や嗜好、知識がないとしんどいのだろうと思われる。あと、冷暖房設備がほとんど整っていないため、寄りついても長居するのが大変。
最近ようやく理解したのだが、彼の二人称、つまりこちらに呼びかけるときの代名詞は「おんちゃん」である。似た発音の「おっちゃん」と混同してしまうと途端に会話についていけなくなる。もとより酒気帯びの会話である。もし読者がエスを訪れることがあれば「おんちゃん」は基本語彙として覚えておいていただきたい。
フランス文学の翻訳家・生田耕作に関心があるんだと話したとき「おんちゃんと友達になりたいなぁ」と言われたときから引っかかっていた謎が氷解したあの気分はエウレーカ!であった。
ネット上をひととおり検索して見つかった口コミはこの一件。
口伝えで細々と、店主の審美眼がうみだす固有の魅力が語り伝えられて今日まで命脈を保ってきたのだろうか。
いままでにエスで買ったものを思い出して列記してみよう。
マルグリット・ユルスナール『東方綺譚』(多田智満子訳)、ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』(生田耕作訳、訳者署名入り!)、ジル・ドゥルーズ『フーコー』(宇野邦一訳)、北山耕平『地球のレッスン』、内田百閒『百鬼園戦後日記』(上下巻)、山尾悠子『歪み真珠』、R・A・ラファティ『地球礁』(柳下毅一郎訳)、食器、そしてロッキングチェア。
きのうの顛末について書こう。
予算3000円を胸に誓って狭い階段をのぼり、店主に声をかける。いつになく食器が並んでいるし、どれも500円ぐらいの驚異的廉価なのに目が惹かれる。マジックペンで走り書きされた簡単な商品説明によるとどれも滅多に市場に出回らない貴重な古物らしい。それが500円…?と訝りつつ、いやいや本を買いにきたのだった、と気を取り直してみるのだが、すぐにまた気になる。じっとみて(素敵)と直感がささやく絶妙なタイミングに店主が背後から「その品はね…」とささやきを重ねてくる。そうして、カルパッチョを盛るほかなさそうなガラスの大皿と、ビレロイ&ボッホなる未知のブランドのカップとソーサー、そして山尾悠子の文庫本を買った。しめて2500円を払うと、すぐに1000円をこちらへ返し、「キリンラガーの500ミリ缶、292円で買ってきて。おつりの…708円は返してね。あとおんちゃんも飲むならじぶんで」。恒例の使い走りにへいへいと素直に応じ、そばのコンビニでラガー缶と小ぶりなハイネケンを別会計で買う。
「んじゃ…乾杯」といまひとつ間の抜けた辛気臭い掛け声で缶をぶつけあい、ぐびと飲む。勤めている日本料理店での近況や、酒にまつわる哀歓そのほかを話しているうちに、座面に無造作にレコードが放り出されているロッキングチェアが気になり出した。尋ねると商品であるらしい。いまは大塚家具の傘下に入った名工場「秋田木工」の曲げ木技術による傑作とのことで、およそ半世紀まえのもの。なぜそこにレコード積んでるんだ…
「いくらだと思う?」と問われ「20000」と答えると店主はたじろぐ。
相場は25万、しかしじぶんは25000で売るつもりだったが「おんちゃん」が近いとこをずばり突いたからには20000で売ろう、という。にわかに信じがたい狐につままれたような話だが、ちょうど椅子、それもまさにロッキングチェアが欲しいと思っていた矢先だけに考え込んだ。
「仮に、仮に買ったとしてどうやって持ち帰ろう…」尻込みしてみせると、
「配送料ばかにならないからね。7、8000円するかなぁ。タクシー使えば2000円ぐらいでしょ。いや、もっとするかな。一階の知り合いサイトウ君に聞けば安く車出してもらえるかもしれない。聞いてみる?」私がうろたえているのも構わず、「そもそもサイトウ君いるかわからないしね、いっかい見てくるわ」
そして、酒に酔っているとは思えない軽快な足取りで階段を降り、ものの数秒で氏を連れて2階に上がってきた。いますぐに出発するなら軽トラ準備して2000円で送ろうという。サイトウ氏自身は行けないが一階のバイク輸送便の同僚ならいま動けるという。仮の話をしていたはずが、いつの間にか退却ままならない状況に至ってしまった。今月そこそこに余裕がある財政状況を一瞬瞑目してふりかえり、諦念、観念、ひとつ深くため息をついて、
「お、お世話になります…」
サイトウ氏が軽トラ手配のため敏捷に動き出すのにあわせて、店主とふたり連れ立って、またコンビニへ往く。主要かつ唯一の目的は私がチェアの20000円と配送料を口座から引き出すことのはずだが、隙ありとばかりに店主は酒の缶を手にしている。こんどばかりは気前よく私に酒類をおごろうとしたがさらに口車に乗せられては敵わないからと玄米茶にした。
氏を待つあいだ、店内でまた乾杯。話がふと途切れたタイミングで私はまた食器の並ぶ棚を眺めた。素敵なグラスがある。トリスおじさんの形をしたペアグラスのバラ売り、波紋のように表面の加工がゆらめく深い蒼色が美しいグラス、それぞれが500円の値が付けられている。手にとって賞玩したのが運の尽き、1500円のところぜんぶまとめて1000円で売るよという。どうかと思う無茶な商法に、やっぱり乗せられてさらに3点、食器が増えた。
サイトウ氏が準備できたわと上がってくるまでのわずか数分の、見事に巧妙な犯行である。あらかじめ立てていた予算を想い、呆然として店を出る。
商品が傷つかないよう細心の注意を払って、軽トラに運び込んでいく。
配送料を渡したのちプロの仕事にうっとりしていると、「じゃ、ここまでは責任持ったから。あとなにがあっても知らないよ」とドライなことを明瞭に言い捨てて店主が去っていく。その背中に「ありがとうございました」と伝えてから、なにかが変だと思う。しかし、なにが変かはわからず終いである。
サイトウ氏の同僚とともに軽トラに乗り込み、摩訶不思議なエスの話になる。よく続いてるよなぁ、と頷く。明快な答えは導かれぬまま、話題は味噌ラーメンや仙台北部の地形の複雑さのほうへ滑っていき、わが家に着いた。
迅速な配送に感謝の握手を交わして独りになって、ふたたび呆然。
ロッキングチェアを迎えてしまった。
たしか本を買いに寄ったはずが。
そういう奇妙な目に遭える場所がエスである。
私はきっとまた、はにかみながら行ってしまうのだろう。
狭い階段を満たすあの形容しがたい臭いさえ懐かしく感じたりして。
ロッキングチェアに腰掛け、食器たちを見ているうちに、酒気が眠気に姿を変えて血管を駆け巡り、知らず知らずふかぶかと寝入った。