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柳宗悦とフランクル

先日、毎週・水曜夜に聴いているYouTubeラジオ「Radio Dialogue」に耳を傾けていました。その内容についてはぜひアーカイブを聴いていただければと思います。
 その中でゲストのいとうせいこうさんが仰った言葉にふと考えさせられました。

★認定NPO法人 Dialogue for PeopleD4P

▼いとうせいこうさん
「世界が同じようなことをしている。割りを食っているのは権利を奪われた人たち。ほとんどいじめに近いんじゃないか」
「ガザ以降、むしろ“ヨーロッパの凋落”を感じる。哲学的・思想的・人権に対する意識的なものが非常に凋落していて…」
「21世紀、どうしちゃったんだよ。今まで何を我々は積み上げてきたんだよ…」

▼浅沼優子さん(ドイツ在住15年)
「人権という概念、西洋哲学の最も基本的な概念が…当てはまる人と当てはまらない人がいるらしいという事がショック」
「ホロコーストなど負の歴史、自国の加害の歴史との向き合い方が、パレスチナに関しては全く適用されない事に衝撃を受けている」


─「ヨーロッパの凋落」─
この言葉にずしりと虚脱感を覚えました。と同時に、いま勉強している「フランクルとロゴセラピー」、「柳宗悦と民藝運動」が頭の中で鳴り響き、まだ考えがまとまっていないものの、途中記録としてこちらに残しておこうと思いました。

私は4月からNHKの2つの番組を視聴していました。

①勝田茅生さん「ヴィクトール・フランクル〜それでも人生には意味がある〜」
(Eテレ/第3日曜/4〜9月/全⑥回)

NHKこころの時代 宗教・人生 テキスト

放送回すべて視聴し、テキストも読み終わっています。
精神科医ヴィクトール・E・フランクルは有名な『夜と霧』の著者です。第二次世界大戦中、ユダヤ人強制収容所に入所させられ、その過酷な体験を記録しました。その後の人生を精神医療に捧げ、自身の打ち立てた「ロゴセラピー」を実践しました。フランクルは亡くなる最期までユダヤ教徒として生きましたが、ロゴセラピーの中には宗教を持ち込まなかったそうです。


②若松英輔さん「柳宗悦〜美は人間を救いうるのか〜」
(ラジオ第2放送/第2日曜/4月から1年間/全⑫回)※テキスト上下巻

NHK宗教の時間 4〜9月(上)


NHK宗教の時間 10〜3月(下)



こちらはラジオ講座です。9月分まで聴き終わり、テキスト上巻も読み終わっています。10月からはいよいよ楽しみにしていた下巻に入ります。(買ったばかりの下巻を読み始めましたが第7回はお目当ての「琉球の富」。さっそく泣きっぱなしの私です)

私はもともと民藝が好きで、それでも柳宗悦と琉球の関係をきちんと知りたかったので、若松英輔さんの語るラジオ番組ならと初回からすぐに聴き始めました。

フランクルはまず医者ですし、ユダヤ人迫害や強制収容所からの「サバイバー」としての立場の方が世の中では知られていると思います。また柳宗悦は美術評論家として誤解されてきた面が大きいかもしれません。このように2人に共通しているのは、これまで「思想家」や「哲学者」としてはあまり認識されてこなかったということでしょう。

ラジオでいとうせいこうさんが投げかけた言葉に、私もリスナーとして感じたことを配信中コメント欄に書いてみました。↓(紹介されているこの #D4P のツイートは私のコメントです)

“🎙リスナーさん(私)の声
《欧州の哲学や思想も、ここへきて植民地主義の過去が暗い影を落としてきたのでしょうか…またはそれぞれの信仰の役割が衰えてきたのでしょうか…》”

当時、排外主義や植民地主義、軍国主義の風が吹き荒れる中、フランクルと柳宗悦は決して人道主義から外れることなく、「人やものには高次な精神的領域があるのだ」と揺るぎない思想を貫きました。今の私たちの時代にまで通じるような、普遍的な思想を遺してくれたのです。

怒涛の歴史がヨーロッパやアメリカに疲弊をもたらしたのだとすれば、次なる思想はフランクルや柳宗悦の提唱したような哲学なのではないか…と私は考え中です。

フランクルと柳のそれぞれの思想については長くなるのでここでは細かく書けませんが、少なくとも私自身にとっては「これだ」と思えるものでした。

       * * *

柳宗悦についての番組はあと半年続きますので結論めいたことは言えませんが、彼の生涯を“読み解く鍵”はテキストの「はじめに」から抜粋しますと「宗教」「平和」そして「美」の3つです。
西洋の文化や言葉を学んだ柳は宗教哲学者として出発しますが「民藝運動はその実践である」とのことです。
私たちの国の歴史や文化はどのような流れで発展し今に息づいているのか、周辺諸国との関わりも含め、真摯に見つめる必要があります。これほどまでに民藝が深いものであったのかと私はあらためて知りました。
若松英輔さんの読み解きにより、回を重ねるごとに「コトバ」としての民藝に想いが深まります。
古よりアジア圏からも西洋からも文化や技術を吸収してきた私たちの国。今の複雑な時代に新たな理念・思想・哲学が必要なのだとしたら。自国の歴史を踏まえ、柳のような姿勢で私たちは国際社会で生きていくべき、問うてゆくべきなのではないだろうか…と思案中です。

       * * *

フランクルに至っては、番組から得た大切な学びが多過ぎてまとめ切れないほどです。
勝田茅生さんがフランクルと現代の私たちの間に立って語る言葉はまさに架け橋のようでした。
「『生きる意味』は必ずあります。人間は苦悩や死さえも自らの人生の糧とすることができるのです。その時々の『意味』を見つけてください」

また勝田さんの師(フランクルの直弟子)エリザベート・ルーカスさんの言葉も印象的でした。ウクライナやパレスチナでの深刻な“戦争”が暗い影を落とし、世界の人々が争いの中にいる今だからこそ響いてくる数々の言葉がありました。

「(フランクルが生み出し実践した)
ロゴセラピー』は、世界との向き合い方であり苦悩への*対症療法としても役立ちます」
※番組では*対処療法と字幕にありましたが調べたところ正しくは対症療法のようです

平和をつくる能力』=「平和とは自分の身近なところから始まり、それがいずれは世界につながるのです」

《平和をつくる能力とロゴセラピーの例》

「平和には『英雄』が必要です。ここで言う英雄とは戦争で敵を倒し崇め奉られる人ではありません。たとえ自分が傷つけられてもやり返さない人、他者を傷つけない選択をする人です。つまり、耐える人こそ英雄なのです。この英雄は傷つき、侮辱され、屈辱を味わいます。それでも英雄は苦痛に耐え、絶望せず、むしろ穏やかで、品位のある方法で敵に接し敵を理解しようと努め、妥協点を探り、相手に寄り添ってみようとするのです。そもそも“先に攻撃したのは私です”と言う人はいません。それは国家間でも同じです。でも、誰が争いを始めたかは問題ではないのです。大切なのは、誰が争いを止める勇気があるか。誰がその争いを終わらせる力を持っているか、です。争いをやめ、同じ仕打ちをやり返さない人こそが「英雄」なのです。誰が始めたかは関係ありません。大切なのは、誰が止める強さを持っているか、です」

「人間は、自分の周りに影響を与えます。それは世界に対して責任があるということです。誰にでもこの世界を良くしようと努力する責任がある。世界のこれからは1人ひとりにかかっている。これがフランクル博士のメッセージなのです」

“フランクルの信仰における態度は、自分の宗教だけにしがみつくものではありませんでした。彼はユダヤ教の神に誠実でありながら、地球上のすべての民族が「1つの人類」として尊敬し合うという、開かれたあり方を提唱しました。これは、彼が「一人類主義(Monanthropisumus)」と呼んだ考え方です”
(テキストより)


……私はフランクルの「一人類主義」を支持します。ただの綺麗事と言われても構いません。

事実、私たちを取り巻く現実は、疑心暗鬼から煽られる侵略の恐怖よりも、核兵器(化学兵器)や気候変動、環境汚染、人権侵害の恐怖の方が深刻であり、喫緊の課題であることは明らかです。それらを放置することこそが戦争の原因です。人類の存続がかかっているのです。
これらは紛れもなく私たち自身が当事者であり、国や人種やイデオロギーを超えて解決すべき問題です。そのための知恵を結集する方法を、先送りすることなく模索しなければなりません。
私は今回の問いを自らの理念として受け入れ、考え続けたいです。

柳宗悦やフランクルのような戦争の真っ只中にいた人物が、自らを絶望に突き落とした“敵”をも包摂する境地へ至ったその哲学に、私たちは真摯に向き合わねばならないと思います。


🌿imo


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