【お薦めの一冊】 非科学的なことから科学が生まれる? / 「科学と非科学 その正体を探る」 中屋敷均
今まで多くの本を読んできました。
その中には、私の人生に良い影響を与えてくれた本が沢山あります。
そんな本の感想を書き留めておくことで、私自身の備忘のためにも、また、これを読んで下さった方の本選びにも、少しでもお役に立てればと思っています。
1.科学とは? 非科学とは?
皆さんは、「科学」と聞くと、どのようなイメージを思い描くでしょうか。
「正しいもの」
「信頼できるもの」
といったイメージが思い浮かぶかもしれません。
一方、「非科学」と聞くと、どんなイメージでしょうか。
「根拠の無いもの」
「正しくないもの」
「信頼できないもの」
といったイメージかもしれません。
しかし、本当に「科学」と「非科学」はそんなに単純なものなのでしょうか。
本書は、そんな私たちの「科学」や「非科学」に対するステレオタイプなイメージについて、改めて考え直す機会を与えてくれる一冊です。
2.著者 中屋敷均氏とは
著者の中屋敷均氏は、神戸大学大学院農学研究科の教授です。
専門分野は、「植物や糸状菌を材料とした染色体外因子の研究」という、私たちにはあまりイメージのつかない難しそうな分野です。
しかし、本書は、そんな難しそうな専門分野を詳しく解説したものではありません。
本書は、「科学と非科学のはざま」をテーマとしたエッセイ集であり、難しい専門用語もほとんど用いられておらず、とても読みやすい一冊になっています。
全部で14のテーマでエッセイが収録されていますが、どれも知的好奇心をくすぐられる面白い内容です。
3.科学は絶対に正しいのか?
現在、私たちの社会では、「科学的なもの」といえば、正しいもの・信頼できるものといったイメージがあります。
しかし、話はそんなに単純ではありません。
そもそも、ノーベル賞を受賞した業績でも、その後、間違いであることが判明した事例も存在します。
例えば、1926年にノーベル生理学・医学賞を受賞した「がんを人工的に引き起こすことに成功した発見」については、その後、それが誤りであったことが判明しています。
また、私たちが科学に対して持っている「正しさ」について、ギャップも存在します。
例えば、
ある新薬について、「風邪の予防効果がある」と科学者が発表すれば、自分がその薬を飲めば、当然に風邪を予防できると思ってしまいます。
また、
ある食品についても、科学者が「食べても安全である」と言えば、自分が食べても安全だと当然に思ってしまいます。
しかし、現実の社会では、その新薬を飲んでも効果が出ない人もおり、その食品を食べて健康を害する人も出てくる可能性があります。
それはなぜでしょうか。
科学における実験や試験などは、実験室の中で行われる試験がメインです。そこでは、ある一定の条件の下に試験が行われています。
当然、新薬であれば、治験など実際の人でその効果を試すことがありますが、そのような場合でも、一定の条件の下で治験は行われ、あらゆる人種・生活様式の人で試験が行われるわけではありません。
そのため、このような一定の条件下で行われた試験の結果が、現実社会の全ての場面で適用されるという保証がないのです。
例えば、上記で挙げている例でいえば、
風邪の予防薬について、風邪のウィルスと予防薬を試験管内で混ぜれば効き目が認められるとしても、実社会では、それぞれの人の遺伝子のタイプ、年齢や性別、環境や食べ物等の影響により、予防薬を飲んだ人の体内でその効き目が十分に働かず、試験管内と同じ結果にならないことが当然起こり得ます。
また、
食品についても、その食品単独の安全性は試験で確認していても、私たちがその食品を他の食品と一緒に食べた際の危険性は判断されてはいません。
例えば、単独で食べれば安全な食品でも、アルコールと一緒に摂取すると健康を害する可能性は否定できません。
このような状況が実際に生じるのが現実社会であり、私たちが一般的に思っているほど、科学的なものが絶対的に正しいという訳ではありません。
このような指摘は、冷静に考えれば当然といえ、私たちも十分理解しているはずです。
ただし、私たちの目の前に、理解出来ないような未知の病気や危険が生じた際は、私たちは科学に対して絶対的な正しさを求めてしまう傾向があるように思えます。
科学者や医者や専門家が述べた見解を盲目的に信じ、例外を一切認めない。そんな雰囲気に社会が一斉に流れてしまう危険性が、私たちにはあるように感じます。
4.非科学は絶対に正しくないのか?
上述の通り、「科学が絶対的に正しい」という訳ではないことが分かりますが、では一方で、「非科学的なものは絶対に正しくない」とは言えるのでしょうか。
この点については、まず以下の事例を考えて頂きたいと思います。
今皆さんが見ているインターネットには広告が至るところに表示されますが、その中に以下の様な広告があったら、皆さんはどう思うでしょうか。
・一粒飲むだけで、癌やエイズを治療する薬が完成しました。
・耳に付けるだけで、他人の考えていることが分かるイヤホンが完成しました。
・空を飛ぶクルマがついに完成しました。
多くの人が、「そんなことあるわけない」「そんなことは科学的にあり得ない」と思うかもしれません。
私たちは、一般的に、現状の科学では認識できないこと・あり得ないと思われることを、「非科学的」と排除する傾向があります。
では、本当に現時点では認識できないこと、あり得ないと思われることは「非科学的」なものなのでしょうか。
5.昔は信じられないと思われたことが、やがて科学として信じられるようになった
今からおよそ100年前、ライト兄弟が空を飛びました。
飛行距離は260メートル、飛行時間は59秒と短いものでしたが、確かに人類は飛行機で空を飛んだのです。
それから、100年後の現在、毎日多くの飛行機が空を飛んでおり、飛行機が空を飛ぶことは当たり前と思われています。
誰も、「飛行機が空を飛ぶなんてあり得ない。そんなことは信じられない」とは言わないかと思います。
では、ライト兄弟が空を飛んだ当時、科学者やマスコミは何といっていたかご存知でしょうか。
当時の科学者やマスコミからは、「機械が空を飛ぶことは、科学的に不可能」「空気より重いものが安定して飛行することは原理的に無理」とまで言われたいたのです。
まさに100年前まで、「鉄の塊が空を飛ぶこと」は非科学的なものだったのです。
それが、現在は科学的なものになったのです。
同様の事例は他にもあります。
18世紀においては、当時の科学者たちも、世界には、動物と植物しか存在しないと思っていました。
なぜなら、当時は高性能な顕微鏡が普及しておらず、そもそも微生物を観察することが出来なかったのです。
しかし、現在は、世界に微生物が存在することを疑う人はいません。
当時の知識・技術では認識できないからといって、それが存在しないとは言い切れないのです。
このように、現時点では認識できないこと、あり得ないと思われることであっても、それが正しくないとは必ずしも言えないのです。
つまり、今、非科学的と言われていることも、今後それが正しくなることがあり、決して「非科学的=正しくない」ではないのです。
6.科学は絶対的に正しいものではなく、修正を繰り返している
このように、今、科学的に正しいと思われていることであっても、それが絶対的に正しいとは言い切れず、また、今、非科学的と思われていることがあっても、それが絶対的に間違っているとは言えないのです。
つまり、科学とは絶対的なものではなく、既存の理論・法則も修正し続け、同時に、新たな理論・法則も発見され続けるものなのです。
7.科学の発展に必要なもの
このように、修正や新たな発見を繰り返す科学において、その発展に必要なものは何なのでしょうか。
それは、科学研究においても多様性を認めることであると筆者は指摘しています。
これは、生物進化における遺伝子の変化と同様と言えます。
生物の遺伝子の変化は、基本的にランダムに起こります。ある特定の方向性を持って遺伝子が変化することはありません。
例えば、地上にはライオンなどの多くの肉食動物がいるため、それから逃れるためにある動物が木に登るように進化する訳ではありません。
たまたま木に登れるようになった動物が、結果として多く生き残るようになるのです。
つまり、生物の進化とは、ランダムな変異の中でたまたま有用なものが現れ、それが生き残っていくことなのです。
同様に、科学の進歩においても、ランダムで特定の方向性を持たず、それぞれの学者が自分の信じる研究を行うことが重要になります。
一見、今の社会には何の役にも立たないような研究であっても、それを許容して、ランダムな変化を起こすことで、その中から、誰も予想が付かないような将来の環境変化に役立つ科学が誕生し、それが生き残るのです。
8.「空を飛びたい」から飛べた
私が本書で一番印象に残っているのが、上でも述べさせて頂いたライト兄弟の話です。
当時、多くの科学者が、空を飛ぶことは科学的にあり得ないと言っていた通り、ライト兄弟は、空が飛べると科学的に分かっていたから、飛行機を作ったのではありません。
彼らは、空を飛べることが非科学的と思われていても、「空を飛びたい」という強い信念があり、それを実現し、その結果、空を飛ぶことが非科学的なことから科学的なことになったのです。
このように、新しい科学を見つけるのは、その時は周りから「非科学」と言われるような自分たちの直観を信じて挑んだ人たちなのです。
そのため、科学の発展を支えるのは、今は非科学とも言われるような夢物語を信じて挑む人たちを受け入れる体制のはずです。
今の日本に、そのような社会的な雰囲気や体制があるか、改めて考えさせてくれる機会となりました。
本書は、その他にも、日本の科学研究の問題点、リスク・恐れに潜む問題点、確率に関する話など非常に興味深い話が多く取り上げられています。
エッセイ形式になっており、いずれのトピックも簡潔にまとまっていますので、気軽に読むことができる一冊です。
本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。