躁鬱大学をたったいま卒業した。
僕は、たったいま躁鬱大学を卒業した。
「躁鬱大学」の存在を初めて知ったのは
たしか2019年の10月下旬頃。
八王子にある大学で開かれた
「NEW TOWN」っていうイベントに行ったときのこと。
大切な友人の女の子と2人で遊びに行った。
目的はその時どっぷりはまっていた
カネコアヤノさんのライブを観るため。
学校の体育館でライブをするという
もう、青春!って感じの文化祭を思い出す
最高のイベントで。
クラフトビールを飲みながら
アパレルをみたり、ZINEを読んだり
ライブを見たり、好奇心旺盛な自分にとっては
ぴったりのイベントだった。
そんな中なんとなく他のアーティストのライブもサラーっと見ていたら。
坂口恭平
というアーティストの弾き語りが始まった。
鼻歌のような流れる漂う歌声とギター。
青春って感じでキラキラしていた体育館の時間が
まるで止まったようなゆったりとした空気。
自然の中にいるような、意識しなければ
聴き流してしまうような音たち。
マイク通してるのかな。
と思えるくらいマイクから離れたところで
かすかに聴こえるような音量で
歌を歌ってなにかをしゃべっていて。
耳をすまさないと聴こえないような
なのに、なぜだか
とても心地よくて。
特にいろいろなことに敏感過ぎていた
タイミングの自分にはとても心地よくて。
見入ってしまった。
そしたら突然ステージで
「僕は躁鬱大学を首席で卒業しました。」
と、坂口さんが喋り出した。
周りは少しざわついて
小さく笑い声もいくつかあった。
ただ、俺は笑えなかった。
ドキッとした。
なぜなら僕は2019年6月下旬に
躁鬱病の診断を受けたからだ。
正式には
「双極性障害II型」というらしい。
診断を受けた時は
まあ、そりゃそうだろな
ってくらい納得したし。
落ち込みもしなかった。
むしろ、どうでもよかった。
会社を休む理由ができたなあくらいに思っていた。
けれどそれからどんどんどんどん
鬱になって鬱になって
人とも全く会わなかったり
丸二日間寝れなくて
涙も汗も止まらなくなったり。
自律神経がおかしくなったりしていて。
それが少し落ち着いて外にも出られるようになったタイミングでの出来事だった。
「躁鬱大学を首席で卒業しました。」
俺に話しかけてるのかな?
ってくらい、心に刺さってきた、ことば。
「自殺者をゼロにできるのは世界で唯一僕だけです。」
「自殺したい人は僕に電話をかけてください。」
「ウィキペディアにも番号が書いてあります。」
衝撃をうけた。
そして
「電話番号は09081064666」
「09081064666」
「09081064666」
何度も何度も自分の電話番号を口にしていた。
たくさんお客さんがいる体育館のステージで。
僕はすぐにメモをした。
ハッとしてしまった。
周りの人はどう感じていたのだろう。
ふざけているように見えている人もいたのかもしれない。
でも、僕にはわかった。
この人が本気だということ。
それから僕はApple Musicで
坂口恭平さんの音楽をときどき聴くようになった。
SNSで本の出版についても見ていたが
お金が皆無で買えないと思ったりもしていて
坂口さんの存在は自分の中で少し薄れていた。
そこからしばらくして
2020年5月。
なんとなくの気持ちで
noteを始めた。
(その前にもほんの少し使っていたけれど。)
たしか、日記を書くといい。
って何かで読んだか聞くかしたから。
noteを利用していたら
何かのタイミングで
「躁鬱大学」
という文字を目にした。
ハッとした。
坂口恭平という名前があった。
すぐさまページに飛んで読み始めた。
1つ目の記事を読んですぐ
心がほどけるような音が聴こえた気がした。
落ち着いた。
あれ、俺ってこんなに速読できたっけ?
ってくらいすごいスピードで読み進めた。
没頭した。
没頭して躁鬱大学の講義を受けた。
記事を読んだ。
文章の改行も区切りも少なく
決して見やすいとは言えないレイアウトなのに
スラスラスラスラ読んだ。
魂のことばだった。
サラサラサラサラ
心に、魂に
癒しのことばが入ってきた。
救われた。
って思った。すごく。
言葉に救われた経験の中で
一番大きいものかもしれない。
ってくらい、救われた。
いつも大げさな表現をしてしまうのも
躁鬱人のあり方かもしれない。
ちなみに躁鬱大学では躁鬱病の人のことを
「躁鬱人」
そうでない人を
「非躁鬱人」
と呼んでいる。
「躁鬱人」という呼び方が気に入って
最近では彼女との間で
「躁鬱人」というワードが常に飛び交うようになった。
そもそも彼女と真剣に
躁鬱病の話や
自分の苦しい話をするようになれたのも
躁鬱大学のおかげ。
音信不通だったけれど
友人に連絡できるようになったのも
新しい仕事を見つけたのも
借金の返済をしっかり始めようと
動き出したのも
全て
躁鬱大学のおかげ。
なんか、怪しいビジネスみたいだけど
これが無料だからすごい。
しかも有料記事も設定できるnoteという
コンテンツを使っているのにも関わらず無料。
借金だらけで実家に帰る交通費もなく
彼女の家でひたすら本を読んでる
自分にとっては本当に最高のコンテンツ。
保険証もないし病院代もない僕の
唯一無二の薬となっていた。
そして、そんなかけがえのない母校
「躁鬱大学」を
つい20分ほど前に卒業した。
20分でここまで勢いで文章を書いてる
自分は正に躁鬱人だなあと感じながら。
卒業して今思うことは
世界の躁鬱人は全員漏れなく
躁鬱大学に通った方がいい
ということ。
躁鬱大学に通えば
少なくとも日本の躁鬱人は
1人も自殺しないと思う。
これは大げさではなく
事実だと思う。
特に、躁状態でも鬱状態でも
読めるようになっているのが秀逸。
躁鬱大学には躁鬱人の秘密やバレたくないこと
躁鬱人にしかわからないことがてんこ盛り。
故に、非躁鬱人に読んでもらうのは気がひけるけど。
あとは、とにかく
なんでもやってやろうと言う気になった。
生きたい
って思った。
いまは、軽い躁に近いような気もするが
つい何日か前に鬱を抜けたのもあって
安定している気分。
躁鬱大学に出会えて本当によかった。
これからも何度も読み返す。
ぜひ、書籍化もして欲しいな。
躁鬱人すべてのバイブル、聖書になると思う。
最後に、どうでもいいことかもしれないけれど
昨日ウィキペディアで坂口恭平と検索をしたら
誕生日が一緒だった。
4月13日
ここにとんでもないトキメキを感じるのは
躁鬱人だから?
いや、誰でも感じるのかな?
このワクワクトキメキを感じながら
これからの人生が素敵な方向に流れることを願う。
坂口恭平さん
本当にありがとうございます。
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