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無意識の暴力性。
先日、こんな記事を書いた。
すると、ありがたいことにある読者の方からDMで反応を寄せていただきました。(感謝とはまさにこのこと🙇)
その方とのDMでは、出身地しかりジェンダーしかり、何気なく尋ねたことが相手を傷つける可能性を孕んでいるのだという『無意識の暴力性』に話が及んだ。
このテーマは掘れば掘るほど興味深いものだったので、記事にして僕の思考を記録しておこうと思う。
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『無意識の暴力性』は特に自分が明るくない分野で起こりやすい。
これはDMでやり取りをした方が言っておられたのだが、「自分が被抑圧者の問題については敏感でいられるが、自分が明るくない分野だと人を傷つけやすい」という。
分かりやすく言うと、僕は出身地問題については敏感でいられるが、あまり明るくないジェンダー問題ではLGBTQの人々を傷つける可能性が高いということだ。
しかし、ジェンダー問題や人種問題など比較的認知度の高い事柄であればまだしも、ニッチなコンプレックスや悩みは人の数だけある。
つまり、相手の”地雷”がどこにあるかを考え始めるとキリがないし、どこかのタイミングでその”地雷”を踏む可能性は決してゼロではない。
ここが『無意識の暴力性』の最も難しいところなのだが、それでも僕は知識や情報として自分の中に様々な価値観を取り込む努力を継続するべきだと思う。
無意識の領域を少しずつ狭めて、自分の守備範囲を広げること。
結局『相手の気持ちになって考える』とはこういうことで、人を傷つけない優しい物言いのできる人というのは無意識の領域が狭い人なのだろう。
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しかしながら、相手を傷つけない優しさには何か根深い心理が隠れているように僕は考えている。
結論を言うと、傷つけない配慮を先手を打って相手に提供することで、自分が相手より若干優位に立ったり自身の正当性を主張したりする構図が完成してしまうと思うのだ。
先程言及したように、相手の気持ちになって考えられる人は様々な方面に配慮できる豊富な知識と価値観を持っているため、どうしても会話の主導権を握ってしまう。
相手の”地雷”を予測して提供した配慮が会話の流れをコントロールするとでも言うべきか。
もちろん多くの人は、主導権を握ろうとして優しさを提供している訳ではないだろうが、そこに無意識的な優劣が形成されてしまっている。
だから、場を支配できる”強い人”や”リーダー”というのは豊富な知識と価値観に裏打ちされた優しい人なのだと思う。
多くの種類のカルチャーに触れ、自分の精神世界を豊かにすることが大切なのでしょう。
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ただし、その”強い人”が意図的に会話をコントロールすることがあってはいけない。
それは優しさなどではなくただの洗脳であり独裁である。
そして、そこを見破るという点においても豊富な知識と価値観が必要となってくる。
今の世の中、僕たちは色々な場面で騙されるリスクと隣り合わせで生活している。
無知であることは身を滅ぼす、このことを意識して常に世に溢れる知識と価値観を取り込み続ける必要があるのだろう。
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以上の内容を簡潔にまとめてみる。
僕たちは『無意識の暴力性』の存在を認識すべきである。
そして不用意に相手を傷つけないために、且つ悪意を持って支配しようとしてくる相手から身を守るために様々な知識や価値観を取り込み続ける努力が必要である。
久しぶりに、書きたいという衝動に駆られて思考を書き留めてみました。
目には見えないもの、形には残らないことについて思いを巡らせるって楽しいものです。少し疲れるけどね笑