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教養としての古典的日本映画。

先日こんな本を読んだ。

タイトル通り、教養としての映画の見方を知ることができる良書だった。

ハリウッド映画やフランス映画が隆盛に至るまでの歴史や、著名な監督たちがスクリーンに詰め込んだこだわりを学ぶことで、映画に対する理解や視点が大きく広がった気がする。


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特に印象的だったのは、映画史における古典的日本映画の重要性だ。

僕はこれまでほとんど洋画のみを見てきた。

昔はトレンドの洋画を、そこから段々と時代を遡ってハリウッド黄金期の魅力に取り憑かれ、最近はインディーズ映画やフランス映画を多く見ている。

そこに邦画が付け入る隙は無かった。

”ここではないどこか”を求める僕にとって、日常と切り離された作品が何よりも魅力的に映る。

だから、日常生活の延長線上に存在し得る邦画の優先順位は必然的に下になる。

しかし先程の本を読んでその考えは少し変わった。

これにはヌーヴェル・ヴァーグが掲げていた「作家主義」という戦略も大いに関わってきます。溝口のような独創的なスタイルを持った映画は彼らの理念に合致していたと言えるでしょう。  
一方、西部劇の神様ジョン・フォードを尊敬していた黒澤の映画には、ハリウッド映画的な要素が色濃く組み込まれていました。このことは、当のハリウッドの映画人たちに親しみを抱かせたと考えられます。あるいは、一見して娯楽性の高い黒澤作品に映画の本流を見たのかもしれません。
ヨーロッパは溝口、ハリウッドは黒澤がお好き

どうやらハリウッド映画やフランス映画も黒澤明、溝口健二がいなければ生まれなかったらしい。

本書によると、世界に影響を与えた日本映画の四巨匠として「黒澤、小津、溝口、成瀬」が言及されているようだ。

映画にそこまで興味のない人や僕のような洋画専門の人でも黒澤明という名前は聞いたことがあるだろうが、他の三名の存在はなかなか知らないかもしれない。

僕もその存在と功績を全く知らなかった。

彼らの作品は日本人以上に海外の人々に広く認識され、その価値が理解されているらしい。

そのため、「日本の古典映画を知らない日本人は日本人ではない。」とも言われているそうだ。


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映画を好む者の一般教養として日本の古典映画は必須の履修科目なのだと知った僕は、本書で詳細に取り上げられていた『東京物語』を見てみた。

結論、全く飽きずに集中して見ることができ良い映画体験だった。

本書で『東京物語』が世界的傑作たる所以を学んでから見たこともあって、ストーリー以外の構図や演出にも気を配って鑑賞でき視点が広がった気がする。

映画には基本的な撮り方があります。それを洗練の域にまで高めたのが古典的ハリウッド映画でした。小津の独創性は、古典的ハリウッド映画を特徴づける諸コードをあえて無視して独自のルールをつくり出した点にあります。「効率的な語り(語りの経済性)」を目指す古典的ハリウッド映画は、各種の技法をそのために動員しています。一方、小津はそうした技法を念頭に置きながらもそれらを巧妙にずらしていきます。それによって生じる映画的な「余白」が見る者を感動させるのです。
映画の基本文法を巧妙にずらす

この一連の体験で、食わず嫌いだった日本映画への重い扉が開かれたように思う。


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本書でも言及されていたのだが、やはり古典的名作は時の洗礼に耐えた「価値」を有している。

ハリウッドの古典映画にしてもフランスの古典映画にしても、時代を超越した色褪せない魅力が人々の心を掴み続けている。

どうやら日本の古典的名作もその特性を持っているようだ。

日本という共通項がありながらも、それらの作品には日常の延長線上から切り離されたオリジナルな世界観が感じられる。

今後も様々なテーマに挑戦して沢山の映画に触れていきたい🎞🎞

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