字幕映画の難しさを知り、"Aye"を学ぶ

僕は洋画が好きで、noteでも「偏愛的映画のすゝめ」と題したマガジンも作っています。(最近はあまり気が向かず更新が滞っております。)

洋画を観るとなれば、字幕か吹替かの選択を迫られます。僕は圧倒的字幕派で、これは字幕が好きだからというよりも吹替が嫌いだからです。

よく言われる吹替のデメリットとしては、「海外の俳優さんが日本語を喋っていることに違和感を感じる。」などでしょう。吹替に違和感を感じるというのも当然ですが、僕が吹替に対して抱く気持ちはやや異なります。

僕は、吹替は俳優さんに対する冒涜だと思うのです。俳優さんは自身の役を表情や体全体、そして声色を工夫して演じているのです。声色は表情と同じかそれ以上に感情を直接表現できる要素ですから、俳優さんたちはセリフの1文字1文字の細部にまでこだわって演技をしているはずです。当然、演技をするに至るまでにも試行錯誤して練習し、その声色に合わせた表情作りも追求しているはずです。そんな魂の宿ったセリフを、見ず知らずの声優(時には芸能人)に全て差し替えられてしまってはセリフに宿った魂も成仏できません。

こう言うと「字幕だって結局はセリフを削ったりして書き換えてるじゃないか。」などのヤジが聞こえてきます。確かに字幕にも似たようなデメリットがあり、セリフを必要に応じて書き換えることは、脚本家に対する冒涜かもしれません。しかし映画というのは役者が演じてこその映画です。セリフを忠実に再現したストーリーを知りたいのなら、本で事足ります。

やや話が白熱してしまいました。要するに、僕は字幕派だよということです。ここからが今回の本題です。


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今回は、字幕映画の難しさについて僕が感じたことを書こうと思います。これは先程言及した『セリフの書き換え』に由来するところです。

僕は同世代と比較して洋画をよく観ているほう(と言っても長期休暇にまとめて4,5本観る程度ですが。)で、ドラマ作品や50,60年代の作品を好んで観ています。

ですが、たまに現実離れしたファンタジー映画の世界にどっぷりと浸かりたくなる瞬間が訪れるのです。そんな時に僕がいつも観るのが『The Lord of the Rings』『The Hobbit』から成る”中つ国シリーズ”(以下、LOTR)です。日本人に人気のあるファンタジー映画といえば、”ハリー・ポッター”シリーズと”スター・ウォーズ”シリーズが二大巨頭でしょう。ですので、僕がLOTRの世界を知った中学3年生から大学3年生の今に至るまで、LOTRで一緒に盛り上がれる友人・知人はゼロです(交友関係の輪が少々小さいことも原因でしょう😶)。多数のアカデミー賞受賞歴もある素晴らしいシリーズであるにも関わらず、日本での浸透率がイマイチなのは嘆かわしいことです。

そんな訳でついこの前もLOTR3作のスペシャル・エクステンデッド・エディションを1日1作、3日連続で観ました。3作品合計で672分になる超大作です。


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ここで一旦話を転換します。字幕で映画を観る人なら分かると思うのですが、字幕に対して「絶対今そんなこと言ってないだろ。」って場面ありますよね。例えば、俳優さんは明らかに"now!"って言っているのに字幕では「殺せ!」と出ているとき。

セリフ→”Kill it,  now!"
字幕 →今すぐに、殺せ!

Kill it(今すぐに)の部分とnow(殺せ)の部分との間に若干の間があって、画面カットが切り替わっています。言いたいこと分かるかな、、、

恐らく英語と日本語の語順の違いが原因でこの現象が生じるのでしょうが、これは大きな問題だと僕は思うのです。具体的に言うと、字幕がセリフより僅かに先行してネタバレをしてしまうことが問題なのです。

上の例では語順にズレがあるもの、ネタバレに繋がるキーワード「殺せ」はセリフの"Kill"より遅れて視聴者に伝わるため、問題はさほどありません。この逆転現象が起こったり、飛躍しすぎた字幕が適用されたりするとネタバレになってしまいます。


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ここで話をLOTRとリンクさせます。第3作の終盤で、字幕によるネタバレが発生しているだろうと僕が予想したシーンがあります。それがこちらです。

絶体絶命の局面を迎え、共闘してきたギムリ(髭もじゃのほう)とレゴラスとの会話シーンです。彼らは歴史的に対立関係にある種族同士で、ギムリが「エルフの隣で討ち死にとはな。」とぼやくと、レゴラスが「友の隣なら?」と返します。胸熱の名シーンです👍

注目したいのは次のギムリの返事。字幕では「いいね。それならいい。」となっています。僕がこのシーンを目にするのはこれで4,5回目なのですが、この「いいね。」がネタバレなのではないかと感じたのです。セリフを聞く限りでは、"I... I could do that."に思えます。

セリフ→"I...       I could do that."
字幕   →いいね それならいい

セリフにおいては画面カットが切り替わり、ギムリが"I could do that."というところで初めて賛成意見が伝えられているはず。"I..."の時点で「いいね。」ってネタバレ、、、


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僕がなぜこれほどまでにこの僅か数秒のネタバレにこだわるかというと、ネタバレによって俳優さんの演技や音楽と脳内でのセリフの解釈にズレが生じるからです。演技や音楽は、視聴者のセリフによるストーリーの解釈に沿って展開されていきます。ですから、重要なセリフが出る瞬間に音楽は大きく変化しますし、演技の重みも増します。それなのに、このギムリの字幕はもったいない、、、


と思いきや驚愕の事実が判明😱😱



問題のシーンのセリフを調べると、なんと"I..."では無く"Aye."だった、、、!

"Aye"は「了解」や「賛成」など、指示や要望を受け入れる際に使う言葉だそう。"Aye, aye, sir!"(アイ・アイ・サー)の「アイ」がこれなんです!

つまり、"Aye. I could do that."を「いいね。それならいい。」と訳してもなんの問題もなんのネタバレも無かったということです。戸田奈津子さん疑ってごめんなさい。

LOTRの字幕翻訳を巡っては一部のコアな原作ファンから非難されている戸田さんですが、僕は戸田さんの字幕屋としての仕事は素晴らしいと思っています。こんなにも長い作品たちを分かりやすく、かつ丁寧に字幕に書き下ろしてくださりありがとうございます🙇‍♂️(突然の感謝)


いやそれにしても、"Aye"と"I"の聴き分けって難しすぎませんかね、、、

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