#103【介護雑記】この世は老いることさえ許されぬ世界なのか?!
最近、自分も年をとって来たからか、「いつまでも若々しくぅ~!!」という、キャッチコピーに、ピリッ💢と来ることが多くなったw
『認知症予防』と銘打って、昨今、様々な自治体の取組み・・・は、まぁ良しとしても、これ、ビジネスチャンスにもなっているわけで、とかくこの『認知症予防ビジネス』が、冒頭の『いつまでも若々しくぅ~!!』というキャッチを持って、お金と暇のある中高年消費者に何かと圧をかけてくる。
そしてさも、『認知症予防』をしていれば、「認知症にはならない!!」的なイメージを拡散させている。
『認知症予防』は、あくまでも、うまくすれば、認知症を発症させるのを”遅らせる”というだけであり、必ず”阻止”できるわけではないんで。
この『認知症予防ビジネス』が、人々に「認知症なんかになりたくない!!」とか「認知症は恐ろしい!!」とか、「認知症になったら、どうしよう・・・。」と、「認知症」への不安や恐怖を煽り、商売繁盛に繋げている・・・ような気がする。
それにまた、政府の政策も乗っかっているように見える・・・。
そして、ふと気がつけば、まるでこの世は「老いることは悪!!」「認知症になるなんて最悪!!」と、老いることさえ許されない世界になった・・・。
いや、いいじゃない。老いたって。認知症になったって。
人も”生きもの”なんだから、そりゃ、老いるよ。
花や木が枯れていくのと同じようにね。
そして、みんな、大地へと還って行くんだよ。
(最近は宇宙に飛び立つ人もいるけどw)
「認知症」というのは、命の最期を自然に苦しまない様に迎えられる為の生体的生理的プログラムに過ぎない。だから、誰も避けることは出来ないんで。
だったら、「老いたっていい。」「認知症になったって大丈夫!!」「最期まで、見届けるよ。安心して。」という人々の意識や、医療や介護を含めた、社会システムになって欲しいなと思う。
要は、認知症になっても、安心して”その時”を迎えられるという社会。
それこそが、真の「安心」「安全」な社会なのではないか?と。
『認知症予防』の本来の意義というのはさ、「いつまでも若々しく。」ではなく、「認知症にならない為に。」でもなくて、認知症を発症しても、最期まで穏やかに過ごせるようにする為の「準備」であり、「工夫」なんだと思うんだよね。
そして、他者も自分自身にも、「いつかは、老いる」という事を受入れられなければ、「認知症」の介護は出来ない。
まぁ、これは日々実感することだよね。
おっとー🩷今日は1,060文字でまとまったぞっ!! (不具合ではないw)