立ち止まることを許してくれる人の尊さ。
人は、みんな違う歩幅で歩いてる。
その歩幅も、広くなったり狭くなったりする。
だから、たとえ育った環境や年齢が近しくても考え方や性格が似ているとは限らない。
でも、たまに同じときに、同じことを、同じように見ている人に出会うことってありませんか?
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いつも仲良くしている友人の中に不思議な縁を感じる人が1人います。
僕らに共通しているのは年齢が同じってことくらい。育った場所は関東と関西だし、性格もぱっと見は正反対。さらには、性別も違う。
それなのに、なぜか同じときに、同じことを、同じように見ていることが多い。しょっちゅう連絡を取るわけではないけれど、ふとした時に連絡を取り合うといつも決まって「あ。同じこと考えてた。」という話をしている気がする。
そのたび、心の中に漂う悩みや想いを打ち明けあう。
僕にとって、この人の存在はほんとうに尊い。
なぜなら、この人の存在は立ち止まり、悩むことを許してくれるから。
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どこかに向かって風を切って走っているときは、景色がどんどん変わる。人との出会いや感情も、突然やってきてはまた去ってゆく。
たとえ喜びがやってきても、悲しみが訪れても、それらをじっくり噛み締める暇もないくらいの速さで。
一方で、ゆっくりと歩いている時はしばらく景色が変わらない。たとえば、それは目的地や走り方を見失ってトボトボと歩いている時かもしれないし、次の離陸への助走に向けて歩き出したばかりの時かもしれない。
こういう時、人との出会いや感情を噛みしめる時間はたっぷりある。
喜びがやってきたときは、ずっとこんな時間が続けばいいのにと思う。そんな想いとは裏腹に、時間の経過は早く感じる。
反対に、悲しみや寂しさが訪れたときは、こんな時間は早く過ぎ去ってしまえばいいのにと思う。そんな想いと裏腹に、時間の経過は遅く感じる。
この薄暗く、長い時間の流れは、とても孤独で不安だ。1人でいると、目の前の出来事や感情から今にも逃げ出したくなる。
こんなとき、そばにいてほしいのは正しさや正解を教えてくれる賢い大人じゃない。僕だったら、同じ気持ちで時間を共にしてくれる味方にそばにいてほしい。
味方の存在はさまざまな出来事や感情と向き合い、糧とするために必要な勇気と帰れる居場所をくれるから。
“ 自立とは、依存先を増やすこと。” (熊谷晋一郎)
絶望が、深ければ深いほど、それを共有できたときに生まれる希望は力強いんですよ。(熊谷晋一郎)
たった1人、たった一時でいい。
そんな人がそばにいてくれたら、どんなに長い迷路の中でも次につながる道を探しつづけることができるんじゃないかと思う。
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物心ついた頃から社会、テクノロジー、情報など、あらゆる世界において変化が激しい世の中に生きてきた実感がある。
その中にあっては、走り続けることよりも立ち止まることの方が大きな勇気と長い(長く感じる)時間を要することかもしれない。
それでも、流れが早く、価値観が多様に存在するこの時世だからこそ、その世界から一歩外れて立ち止まる時間、みんなが歩く大通りから一本となりの小道を歩いてみる時間が必要だと思う。
そうすると、借り物の感性や偽物の感情から解放され、自分自身のモノサシ(価値観)が少しずつ形成されていく。このモノサシ(価値観)こそ、言うなれば人生におけるコンパスになるのではないか。
そういう時間を作るために、僕に立ち止まることを許してくれる人との時間とコミュニケーションは何よりも大切にしたい。
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おわり。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
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『無茶をせず、無理をしない。悩みを抱えた時に思い出したい言葉がある。』