#15 介護10年「頼むから、今日死んでくれ」じゃないと私が死んじゃう。

親の介護を始めたばかりの人、親の介護に疲れきっている人に是非、一度読んで欲しいコラムがある。↓↓↓

2018年1月31日にPRESIDENT Onlineで配信された、作家、鳥居りんこ氏のコラムだ。実母の壮絶な介護体験を元に、”介護アドバイザー”としても活躍する彼女のコラムは、痛烈だが、否定しようのない介護者のリアルな苦悩が滲んでいる。

当時、母親の認知症発症を確信し、これからどうやって親の介護に当たればいいのか?ゲロりそうな程、悩んでいた時に目に飛び込んできたコラムだ。

「頼むから、今日死んでくれ・・・。」

それが”本心”であることを、見抜かれたようなタイトルにグサッと胸を突き刺されたと同時に、「あ、自分だけじゃないんだw」と、肩の力が一気に抜け、その後2023年2月に母を看取るまで、私は心を壊すことなく、理性的且つ計画性をもって、適切な介護体制を構築することができた。

このコラムで、特筆するべきは、鳥居氏が知人のサイエンスライターに、「我が子の用事は比較的軽快に出来るのに、親の用事となると、一気にやる気が失せるのは何でなんですかね?」と聞いた時の段。

「それはね、りんこさん、人間には親をみるというDNAがないからよ。あらゆる生命体には子の面倒はみても、親の老後をみるという遺伝子がプログラミングされてない。日本人はちょっと前まで、末子が15歳になるかならないかくらいで、みんな死んでいたのよ。親の用事をやってあげようかって思っても、その親は自らが用事を果たせなくなった段階で全員が死んでいったってこと。子どもがやる必要もなかったのよね」

介護10年「頼むから、今日死んでくれ」/記事より

確かにぃ―― っ!!!w

「人間には『親を看る』というDNAはない。」という、件のサイエンスライターの言葉に、私はいたく納得した。だからといって、これが即「親の介護をしなくてもいい免罪符」には日本の法制上ならないが、少なくとも、親に対する”愛情”だとか”恩義”だとか、そういう感情的裏打ちがなければならない的な、”鬱陶しい義務感”からは解放された。

責任感だけでこなせばいいなら、”仕事と同じ”と据えて、まずは「介護」という「業務」を、1日の中に数分~数時間、組み込んで行けばいいな。と。

しかし、介護は24時間365日だから、当然、自分ひとりでは、”シフト”を組めるわけはないんで。「新たに人を雇うしかない。」という発想から、同じに人を雇うのなら「介護のプロ」が良いに決まっているわけで。

まずは、腕の良いケアマネさんでしょ、ヘルパーさんでしょ・・・となり、人を雇うには、当然、費用がかかるわけだから、親の収入支出、資産の洗い出しも必要となってくる。

親の介護は、精神的負荷も高いが、金銭的負荷も同時に高くなる。
鳥居りんこ氏は、「介護に関するお金の話」も執筆されているので、是非、参考にして欲しい。

ただし、「これも仕事だ・・・。」と自分に言い聞かせて、膨大な労力と知恵と時間と金と、ありったけの忍耐力をつぎ込んで、その”仕事”をやり遂げても、対価が貰えるわけじゃない。誰かから褒められるわけでもない。
何も残らない。
手元に小さな位牌が残されるだけだ。
それが現実。

毎日、毎回、認知症の母に「頼むから、早く死んでくれ。」と、
心の中で叫んでいたのも、また事実。
私はとうとう最後まで、母の事を好きにはなれなかった・・・。

しかしそれでも、私は母の介護をして「良かった」と思っている。
それもまた事実なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?