#46 老々介護の果てに。~母編Ⅱ~
2022年8月2日、徹夜明けから、1日中慌ただしく動き回り、7年かけた案件を半日でカタを付けてきた満足感もあり、私は母の横で、どっさりとした睡魔に襲われていた。しかし、その睡魔を払い除けるように、母は隣で「お父さんは?どこ?」と、何度も何度も問い続ける。私も何度も何度も答えていた・・・。
眠い・・・ひたすら眠い・・・
だが、母は寝てくれない・・・
眠剤がサッパリ効いていない・・・
同じ質問ばかりを繰り返す・・・まるで拷問だ・・・
父は毎晩、こんな拷問に耐えてきたのか・・・
無理だ・・・・地獄だ・・・・・・・
認知症に理屈なんて通用しない・・・
でも、明日になれば、”おさらば”だ・・・
ようやく、あんたの”拷問”から、みんなが解放される・・・
明日になれば・・・この一夜を乗り切れば・・・
結局、まんじりともせず、夜が明けた。
朝、母に簡単な食事を作って食べさせる。
「あの、あなたは誰ですか?」
(また、その質問か・・・、本当に認知症って・・・。)
「私?私は、あなたの娘ですよ。Ilsa子です。」
「私は、娘なんか産んだ覚えはないけどねぇ・・・。誰なの?」
きっと”最後の朝”になるというのに、まだ言うかっ?!💢”
2夜連続で、ほぼ徹夜状態、いくら、あんたが”認知症”だからといって、私のアンガーマネジメントにも限界ってもんがある!!💢
・・・・・いやいや、後、数分待てば、末弟がやってくる。それまでの辛抱だ、それまでの辛抱、辛抱・・・・・。
「あの、お薬の時間ですが?」
「何の薬?」
「お母さんが、いつも飲んでるお薬ですよ。」
「あたしが?あたし、薬なんか飲んでないわよ。あなた、私に薬を飲ませて、お金、取る気なんじゃないの?ウチにお金なんかないですからね! 」
「それは、わかっています。大丈夫ですよ。お父さんだっているでしょ・・・。」
「うちの人?うちの人は、死にましたっ!! あんたは誰なのっ?!
うちの人が死んだから、あんた、財産狙って来たんでしょ?!」
”はっ?!・・・・・・・・💢💢💢”
そうか。
親父は死んだか・・・・。
それまで、抑えに抑えていた「怒り」「悲しみ」「苦痛」「失望」「絶望」・・・ありとあらゆる負の感情が、ついに脳内で激しく内部爆発を起こす。それが火砕流となって、ドクドクと胸元へ流れ込んで来る・・・。
夕べ、「お父さんはね、○○病院へ入院したんだよ。」と、爆睡魔と闘いながら、何度も何度も何度も、説明したよね?お父さん、なんで心臓発作起こしたのか・・・?あんたのせいだよね・・・?あんたがそうやって、毎日、毎日、お父さんの事を責めて・・・。お父さんは、あんたの介護に精魂尽き果てて、倒れたんだよ。その人を、「死にましたっ!」って、言うわけね?
お母さん、なんで?!
なんで、認知症になんかなったんっ?!
私が、お母さんの思い通りの"良い娘"じゃなかったから?!
私の事を恨んで憎んで、うつ病になって、認知症になって・・・。
そんなに、私を苦しめたかった?!
もう、充分にその恨みは晴らしただろう?!
私は、お母さんの事、”わかろう”と思って、これまで生きて来たんだよ!!
うつ病の事も、認知症の事も、たくさん勉強もしたんだよ!!
優しく穏やかに接しようと、沢山努力もしてきた・・・。
それなのに、なんで?
なんで、私のこと、忘れちゃったの?
なんで、お父さん、死んじゃうのっ?
なんで・・・?
なんで、認知症になんかなったん・・・。
このまま、死んでいくんだよ?お母さん・・・。
それで、いいのか?本当に・・・。
目から、鼻から、口から、耳から、やり場のない怒りと悲しみのマグマが噴煙を上げながら、怒濤の如く吹き出しそうになる・・・。
が・・・。
”これが最後だ・・・。今日が最後だ。
もう、母は、「この世界の人」じゃない・・・。”
”そう思えっ!!”
私は、大きく深呼吸をして、静かに言った。
「そうですか、”あなたの旦那さん”は亡くなったのですね・・・。」
「そうよ! もう随分前に亡くなったのよっ!! 」
弟が来たら、母を件の介護施設へ送っていく。
施設はコロナで面会禁止中だ。多分、もう父と会う事はないだろう。だったら、父とは「死に別れた」と、理解したのは好都合かも知れない。このまま否定せずに、シレッと送って行こう・・・。
「それは・・・、誠に、お気の毒なことでしたね・・・。」
「ええ、そうなの。いい人だったんだけどね・・・。」
そう言うと、母は落ち着きを取り戻し、満足気に薬を飲んだ。
これが、母との生涯、最後の会話となった。
末弟が来ると、母は「あぁ!!S!! 来てくれたの?!」と、喜んで抱きついた。
想定通りだ。
末弟は、母に「お母さん、今日は暑いからさ、涼しくて、お風呂にも入れる、いい所へ遊びに行こうよ。お友達もいるよ! この人(私)が、車で連れてってくれるって。俺も一緒に行くからさ。どう?」と母を誘った。
「ほんと?!行きたいわっ!!」
母は、小さい女の子のように目を輝かせた。
「お!じゃ、直ぐに出掛けようよ!」
私と弟は、目配せをして、そのままの支度で母を連れ出し、家を出た。
後部座席に母と二人で乗った弟は、「ほらほら、お母さん、ここのスーパーよく来たよね~。」などと、ずっと母に話しかけ、母の手を握っていた。母は、久しぶりに楽しそうだった。
施設へ着くと、打ち合わせ通りに、担当者が外で、にこやかに母を出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ~。どうぞ、こちらに。冷たいお茶がありますから。」
私達は母をサッと担当者に引き渡す。
「あ。こんにちは。あの・・・」
母は戸惑いながらも、担当者に愛想良く挨拶をした。これも想定通りw
「ささ、こちらから、中へどうぞ。暑いですからねぇ~。」
担当者は、すかさず母の背中へそっと手を添え、私達に軽く会釈をしながら、母をゆっくりと施設内へ案内していった。
「ぶはぁー!!w 作戦大成功~!!!」
弟と二人、顔を見合わせて笑った。
弟は、二人の子供達の「イヤイヤ保育」を経験しており、その時の作戦を母の入所時に応用したのだ。これは妙案だった。
母を送ると、私達は直ぐさま、実家へと戻り、母の薬と施設入所に必要な着替えや備品、布団に使い慣れた枕を、バックと押し入れ収納BOXに詰め込み、再び、施設へとそれを届けた。
エントランスに荷物を置きながら、奥の方のソファに腰掛けて、楽しそうに笑う母の姿が見えた。
「お母様、落ちつているんですが・・・、あの、お父様は?」
「え?あ、おかげさまで、容態は安定しています。」
「あぁ、良かったです。実は、お母様、”うちの人は亡くなったんですよぉ~”と、話されていたので・・・。」
「ええ。今朝から、そういう”モード”に突入したようですよw」
「えぇ?! 姉ちゃん?! そうなの?!」
「そうそう。親父は、すでに死んでいるw」
「マジか・・・・。お袋、そんなに・・・。」
「大丈夫ですよ。連れ合いを亡くされた方も多いですから。そのほうが、かえってお互い、お話が盛り上がるんですよw」
「そんなもんですか・・・。」
「そんなもんですよーw」
「では、私達はこれで。母の事、どうぞ宜しくお願いします。」
「はい。ご安心下さい。お疲れ様でした。」
「良かった・・・。」
「うん。良かった・・・ホントに・・・。」
母を施設へ送る一大ミッションを無事に終えた私達は、帰りの車中、それ以上、会話をすることはなかった。
末弟は姉弟の中で、一番最後まで家に残り、母のウツ病時代を支えていた。末弟もまた、長年に渡る「母の呪縛」から解放された瞬間だった。
弟は、ぐったりと車に揺られながら、黙って窓の外を眺めていた。
それまでの道行きには、気づかなかった街道沿いの「ひまわり畑」が、暑い夏の日差しに揺れていた。
”お母さん、今夜は眠れるだろうか・・・。”
それだけが、気がかりだった。