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#165【介護雑記】「看取り」から始める認知症介護。~認知症にも四季がある②~
以前、「認知症にも四季がある。」という記事を書いた。これは、認知症の親の介護に疲弊し、苦しんでいる多くの家族介護者さんに、「認知症」という疾患の全貌を、ザックリとでも知って欲しいと考えたからだ。
「認知症」の全貌を知れば、訳がわからず、傷つき、振り回され、疲労困憊する「夏」のシーズンにも”限りがある”とわかるだろう。そして、その辛いシーズンをうまく乗り越えていく施策も打てる。
やがて穏やかな「秋」が来て、「看取り」のシーズンである「冬」に、備えることが出来る。
「認知症で死に至ることはない。」という日本の医学会独自の定義により、認知症の全貌は歪められて、必ず「看取り」が来ることを、患者やその家族介護者に明確に告知する事はしない。
これには、「認知症」という疾患は、本当に個人個人で進行の速度や症状が違っていて、癌などのように、明確な”ステージ”では追えない事も一理あると思われる。
酷く進行した認知症でも、正しいケアに修正する事により、まるで治ったかのように、穏やかになり、進行速度が抑制される症例もある。
しかし、メディアは、激しくこじれたBPSD周辺症状への対応ばかりに注視した情報しか発信していない。
だから、多くの人々が、認知症にも、それぞれの季節があり、最後は必ず、看取りのシーズンを迎えるという事を知らない場合が多いように感じている。
それが、「認知症」や「認知症介護」を、より混乱させ、家族介護者を「ゴールの見えない介護地獄」へと陥れている気が私はずっとしている。
◼️母の看取りを救った「認知症は、”迎えの舟”」
2022年8月、老々介護が崩壊した時、認知症で荒れ狂う母を緊急で保護してくれた小規模多機能型居宅介護施設の施設長が何気なく、私に話してくれた言葉だ。
それまで、「認知症というのは、どうやら、不治の病で、最終的には免疫機能が全てダウンして終末を迎えるようだ・・・。」と、漠然的に掴んで事が、明確に裏打ちされた瞬間だった。
”やっぱりそうなんだ・・・。母には「死期」が近づいている。”
”これは「治療」や「リハビリ」ではなく、「看取り」を考えなければならない。”
”だが、心疾患の発作を起こし、救急搬送された父と、終末期を迎えている母の両方の介護はできない。ならば、母を収容してもらう施設には、「終末医療」に理解があり、「緩和ケア」や「看取り」の体制が整っている所でなければ・・・。”
そのコンセプトで、私は母の収容先施設を探し始めたが、これが、思いの外ない。
「老健」も「特老」も、ただでさえ「満床」である。ホスピス病棟を構える病院は、ことごとく「認知症患者の受入れお断り」だったし、地域のグループホームは、折からのコロナ禍で入所を断られるばかり・・・。
およそ2週間をかけて、20件以上の施設へ連絡したが、コンセプトに合う施設は、1件も見つからず、私は施設探しに疲れ切っていた。
そんな時、母の住民票がある地域外に、”支店”を持っているグループホームの担当者から、「先ほど、”今朝、1床空いた。”との情報共有がありました。地域外で、ここからは40km程離れていますが、○○市と連携していますので、手続きを取れば、お母様も入所する事が可能です。如何ですか?」との打診があった。
”1床かぁ・・・。ダメ元でアポを取ってみるか・・・。”
● 母は、まだ歩けますが、重度の認知症です。
● 「自立支援」を目的としたリハビリは望んでいない。
● 延命措置は望んでいない。
● 終末医療の対応をして欲しい。
● 緩和ケアをして欲しい。
● 看取りをして欲しい。
他の施設で蹴られまくった条件を、またいちから説明するのは、日に何十件と営業のアポをかけて、蹴りまくられるのと同じ位に疲れる・・・。
”しかし、この条件は譲れない・・・。”
母は、もう死ぬ。
だが、今の私には母の「看取り介護」はできない。
最期まで、母の命の尊厳を守り、看取ってくれる”誰か”を探さなければならない。不肖の娘の私の代わりに、母の最期を託せる人を ―――。
「でもね、どこの施設にも断わられていて・・・。もう20件も連絡しているんですよ。私も、もう・・・ほとほと疲れ果てました・・・。父の介護もしなければならないのに・・・。どうすりゃいいんですかね・・・。」
電話口でそう言った瞬間、ふつふつと涙が溢れてきた。もう、どうしようもなかった・・・。
電話口の向こうで、件のグループホームの担当者が、何やらしゃべり出していた。
”また、どうせ断る理由を並べてんだろ・・・。”
自分の意志とは全く関係なく、ただただ流れてくる涙と鼻水を拭うのにいっぱいいっぱいで、相手の話など耳に入ってこなかった。
「Ilsaさん?Ilsaさん?、”認知症は迎えの舟”と言われたお話、すごく共感します!!」
”え・・・?!”
私は、思いがけない言葉に耳を疑った。
”認知症は迎えの舟”と言った、ショータキの施設長さんのお話、本当にそうだって、私も思いますし、私自身もそう考えて、この仕事をやって来ました。
でも、家族介護者さんの多くが「認知症」は、”そういう病気”だって、知らない人が多くて、中々、ご理解頂けずに、苦戦することも多々あります。
でも、Ilsaさんは、もうそのことをよく理解されていらっしゃる。認知症のお母様にとって、本当に必要なケアは何か、よくわかっていらっしゃる。それこそ、ウチにとっては、是非とも、お受けしたい案件です。
私達なら、Ilsaさんがお母様にしてあげたいと考えている終末ケア、出来ます。お看取りも出来ます。その為の「1床」なんですから。安心して下さい。大丈夫。一度、ウチに来て下さい。お話だけでも構いませんから。
私は、慌てて電話を切ると、車に飛び乗り、直ぐにそのGHへ向かった。
その後の顛末はこちらにて。⬇️⬇️⬇️
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「認知症は、”迎えの舟”」、そのコンセプトが繋いでくれたグループホームの管理者との出逢いが、母の最期を見事に救ってくれた。
しかし、最初から、母の異変に気づいた時から、母の認知症発症を知った時から、いずれ必ず「看取り」が来ると、知っていたら・・・。
その時を前にして、不安に怯えながら、少しづつ、壊れゆく母を、私は許せたと思うのだ。
BPSD周辺症状に、振り回され、無駄に疲弊することなく、苛立つこともなく、殺したい程、恨むことも、憎むこともせず、何の見返りも求めず、母に寄り添うことが出来ただろうと思う。
その苦い経験から、認知症介護は、「看取り」を考えることから、はじめるべきだと私は考えている。
”親の人生を、その命を、どう見送ってやりたいか・・・?!”
これは、病院であっても、施設に入所させても、在宅介護であっても、例え親が、どうしようもない毒親であっても、”最期”は、介護キーパーソンを含む家族親族の意志決定に委ねられる。そこが、認知症介護の”ゴール”であることに変わりはない。
迎えの舟に乗せる、”その時”なのだ。
ゴールを見据えて、伴走プランを練る。
自分が伴走できなければ、伴走してくれる他者を頼めばいい。信頼できるケアマネや介護スタッフさん達と供に伴走できれば、最強だ。
そうすればきっと、走者にも、伴走者にも、最適なペース配分が見えてくるはずだ。
知識は武器。
介護とは、命のゴールを切るための戦略なのだ。