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<小説>ハロー・サマー、グッバイアイスクリーム 第二十一回 夏祭りのラウドスピーカー

少女売春組織の中間管理職鈴木が名古屋によく似た街で爆弾テロと政治的陰謀に巻き込まれていく。
ある取引のため爆弾犯である小夏と会うことになった鈴木は会合場所として市内の大きな公園を指定される。折しもその公園では大規模な政治集会が予定されていた。集会参加者と鎮圧の警官隊が集まってきた。

 目が覚めるとシャボン玉が飛んでいた。
 シャボン玉は芝生を走り回る少女のものだった。走り回るものだからできるそばから割れていたし、手に持ったシャボン液の入れ物からばしゃばしゃとこほれていた。
 それでもいくつかのシャボン玉は地面のくぼみに溜まった油みたいに太陽を七色に照り返して漂っていた。
 公会堂の駐車場には何台も輸送者が並び、空いたスペースに整列した警官隊に指揮官らしい男が訓示を叫んでいた。脇に抱えた拡声器は壊れているのか喉で叫んでいる。

あらすじ

Chapter 20 夏祭りのラウドスピーカー

 公園は午前中から人混みだった。
 ニシから川を挟んだエリアにあり、公園は市内で最大の面積があり、敷地内にはスポーツ施設や公営図書館、よく手入れのされた花壇や噴水広場もある。
 横はすぐ堤防になっていた。堤防からツインタワーをはじめビル群も見ることができるし、夏になれば河川脇の開けた視野のおかげで遠くの花火も見える。近所の住民にとっては格好の散歩スポットだ。
 しかしこの日は様子が違った。
 公園では男も女も老いも若きも首にタオルを巻いて襟に突っ込んでいた。抱えたビラの束をすれ違う度に手渡された。「派兵反対」「平和的デモへの弾圧を許すな」というものからなぜか近所の大学の映画サークルのものまであった。
 ニシで暴れていた連中よりも小綺麗な格好の者が多い。暴徒ではなく左派系市民団体だからだろう。
 その中で黒のTシャツを着た参加者が目立っていた。10人いれば一人は黒かった。この暑いのに黒だ。
 デモに揃いの服で顔を隠した集団がよく現れるのはニュースで知っていた。警官隊に投石したり、警官隊に捕まりそうになっている参加者を救出してはそのまま揃いのTシャツの群れに入り込む。そうすれば誰かは特定できない。
 公園の周りには集会を妨害するために右翼が集まり始めている。そちらへの警戒も兼ねているのだろう。
 小夏も群衆に紛れてしまえば警察やその他から見つかりにくいし、逃げることも楽だと踏んだのだろう。
 公園の外周は既に警官隊に囲まれていた。
 予定されている左派系市民団体による集会だが、毎年恒例で屋台や大道芸人も出て政治集会というよりも近所の住人も遊びに来る祭りのような雰囲気だ。出ている屋台も本業のテキ屋がやっているのだろう。
 警察としても最近の暴動続きを理由にこの集会も中止させたかったようだが、実行委員になっている例の野党議員がそれをさせなかった。俺の会社の上客だ。
 その代わりに毎年恒例のデモ行進はなしで時間制限ありという条件だったが、折からのブームの煽りを受けて参加人数は過去最高になりそうだと日刊ゲンザイが報じていた。
 記名はなかったが文体からして杉浦だろう。いつの間にかゲンザイはこの手の運動のオピニオンペーパーのようになっていた。杉浦による演説も集会スケジュールに載っていた。
その脇で近所の子供たちがラジオ体操をしている。
 小夏に指定された時間までかなりあった。俺は公園の下見を兼ねて公園内を歩き回った。
 公園の中央の噴水広場にはフードトラックが準備を始めていた。噴水を囲む円周に沿ってトラックが停まって店主が発電機を準備している。
 排気の臭いが噴水の生臭さと混じっていた。
 公園中央の石造りの舞台を囲むように円形に作られた芝生が整備されている。その淵に等間隔に置かれたベンチの一つに腰掛けた。
 日差しはまだ足許を照らす角度だ。俺は両腕を背もたれに投げ出して顔を真上に向けた。
 雲は一つもなかった。水を入れ過ぎた白の絵の具で引いたような雲が間に合わせ程度にあった。暑かった。空気が熱されているのがわかる。警官隊の絶叫や公園に集まった連中の熱気がこもっている。
 俺は落ちるように眠りこんでいた。

 起きたら周りが騒がしくなっていた。小一時間ほどだが前日からあまり眠っていなかったからだろう。
 目が覚めるとシャボン玉が飛んでいた。
 シャボン玉は芝生を走り回る少女のものだった。走り回るものだからできるそばから割れていたし、手に持ったシャボン液の入れ物からばしゃばしゃとこほれていた。
 それでもいくつかのシャボン玉は地面のくぼみに溜まった油みたいに太陽を七色に照り返して漂っていた。
 寝ぼけていたせいだと思う。エンパシオンも飲んでいた。穏やかな気分になった。それと現実逃避もしたかったのだろう。
 公会堂の駐車場には何台も輸送者が並び、空いたスペースに整列した警官隊に指揮官らしい男が訓示を叫んでいた。脇に抱えた拡声器は壊れているのか喉で叫んでいる。

「やる気あんのか!!」
「りょーーかい!!」
「市民守れんのか!!!」
「りゃっーーーきゃーー!!!」
「国家守れんのかーーーー!!!!」
「りゃああああああ!!!!!!!!」
「アカどものさぼらせんなああああああ!!!!!!」
 コールアンドレスポンスが繰り返され最後は警棒を振り上げて絶叫だ。
 指揮官のハンドマイクを持つと「実施」の命令をした。各々が持ち場へ走り去った。
 プロテクターを身に着けた警官隊の腕にはもう汗が蒸発していた。
 周りは大分騒がしくなっていた。舞台の周りには運営テントが設営されその周りに黒Tシャツが集まり始めていた。
 気温は高い。8月の最終日だというのに猛暑警報が出ていた。俺は背負ってきたリュックからタオルを取り出して首に巻いた。
 そんな格好はしたくなかったが集会参加者に偽装したほうが都合が良さそうだと思ったのだ。黒のキャップと色の濃いスポーツ用サングラスもかける。
 あちこちからハンドマイクで割れた演説か罵声が聞こえてきた。殺気立っている。もう居眠りができる雰囲気ではなくなっていた。
 
 周りを眺めていると運営テントから男が俺に近寄ってきた。野球帽、伸び切った髪にサングラス、しかも手には缶ビールを提げていた。どこから見ても不審人物だ。
 思い出した。いつか事務所のそばの公園で遊び回る子供たちを車から見ていたのはこいつだった。多分俺を尾行していたのだろうがどう見ても子供にいたずらをするのが好きな変質者だった。もちろん男女問わずに。
 男は俺の前で立ち止まると言った。
「ご連絡いただきありがとうございます。ご無事なようで」
「こちらこそありがとうございます、杉浦さん」
 杉浦はサングラスを外すとニタと笑った。
「しかし鈴木さんスーツじゃないんですね。誰だかわからなかった」
「こういう場にスーツじゃ目立って仕方ないですから」
 杉浦は俺の横に腰を下ろすと煙草に火をつけてビールを呷った。
「実行委員から呼ばれましてね。スピーチなんかをやらされますよ」
「よくテレビでお見かけしますからね」
 報道特番をつければ大体こいつが出てるか、杉浦が撮影したニシ暴動の映像が流れていた。それに乗じて撮影者の杉浦も文化人じみた活動もしていたのだ。
「お陰様でね。今日もスピーチをやれと呼ばれました。しかしこう顔が売れると警察も下手なことはできないでしょ。現にこうして鈴木さんとも会えている。周りには警官がうようよいるのに」
「やはりお分りでしたか。あのニュース」
 相変わらず名前と顔は出ていないが、市内に住む29歳の男性として俺は重要参考人になっていた。その時点でまだ逮捕状が出ていないのは井上の手回しだったのだと思う。
「そりゃわかりますよ。今や立派なお尋ね者ですね」
 そう言うと杉浦はまたにやりと笑った。
「ただ大衆に顔を売るっていうのはたただの手段です、あくまでね。目的は別ですよ」
 スピーチを前にして話したくて仕方ないらしく口を尖らせ始めている。ビールを飲み干すと次の缶をを開け止める間もなく演説が始まった。
「売国だのテロの片棒を担いでいるだの言う連中もいますよ。でも僕はね、別に暴動を扇動するとかテロリストの宣伝がしたいわけじゃないんですよ。ましてや金のためじゃないそこはわかってください」
 吐き捨てるように言葉を切って杉原はビールを煽った。酔った目で続ける。
「これでもジャーナリストの端くれだ。抉ってやりたいんですよ、僕のペンで、言葉で、この社会の暗部、いや恥部をね、抉りたいんだ。ケチなブン屋ですがブン屋にはブン屋のやり方があるんですよ」
 反抗や反骨ができるのは社会の内部にいる特権だ。
 この街に住む連中は、はじめからその社会から排泄されている。
 俺は思った。ニシの路上で酔いつぶれている老人も、そいつら相手にタバコ代で売春をする老婆も、俺も、田中も、安藤も、サングラス達も、キムも、櫻子も、小夏も。全員がそうだ。
 社会に食われて、消化されて、搾り取られて、それでも社会がひり出す小銭に群がっているのがニシだ。
「耳が痛いですね。俺はね、杉浦さんの言う恥部そのものだ」
「違うんです!違う!僕はね、別に鈴木さんを糾弾しようっていうじゃないんですよ。鈴木さんも彼女たちと同じで、いわばこの社会の罪の、恥部の、それを作り上げてきた構造の犠牲者だ!」
 杉浦はこれからのスピーチのリハーサルのようにまくしたてた。
差別、格差、抑圧、恥部、怪物、支配、民族、言語、貧困、教育、構造、階級、国籍、権力、無知、排他、搾取、病理、暴力、同化、浄化、純血、弾圧、蔑視、隔離、犠牲者、犠牲者、犠牲者、犠牲者、犠牲者、犠牲者、犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者犠牲者
 流行り言葉のように全ての言葉の最後に犠牲者がついた。
 不思議なことに俺はいつの間にか恥部から犠牲者に格上げされていた。そうだな。俺は犠牲者だ。杉浦さん。社会の犠牲者に間違いない。
 ケツを犯された時から犠牲者だ。陰毛を包皮に巻き込んだチンポをしゃぶった時から犠牲者だ。ボランティアに媚を振りまいた時から犠牲者だ。母親に置き去りにされた時から犠牲者だ。母親の腹から無理矢理この世界に押し出された時から犠牲者だ。
 生まれてこのかたずっと犠牲者だ。
 その3文字を見出し三段抜きで祭ったら俺の罪も許してもらえるのか?
ステッカーにして車のブレーキランプの上に貼るか?
Tシャツにして売るか?そしたらお前も着るか?他にどんな生き方があった?
「杉浦さんとお話をしていると俺も爆弾でも作りたくなりますよ」
 演説をダイジェストにしている杉浦の言葉を打ち切った。
「そうでしょう?本当に吐き気がします。本当に、あの腐った連中には」
 俺も吐き気がする。頼むから煙草を消してくれ。
「じゃあ一緒に爆弾でも作りますか?」
「いえ、あくまで僕はペンでやりますよ」
 井上はペンを持つ手を腕まくりしてみせる。
「だから先日お願いしたネタをください」
 杉浦は飲み干した缶を足元に落とすと踏みつけた。ぐしゃっと缶が歪んで潰れた。
「そのためにわざわざ来たんでしょう?徹底的にやりますよ。そうしてくれたならこの国の心ある報道人が全力で田中さんを守ります。権力だって、右翼だって怖くない」
 杉浦の顔を見て思った。
 この集会の実行委員である議員もうちの顧客だと杉浦は知っているのだろうか?
 あいつもお前が抉ってやりたいという恥部だろう。
 そう言ってみたかった。しかし黙った。
 もし知っているなら俺が何を言ったところで黙殺するだけだろう。
 知らなくても、杉浦はもう今更になって祭から降りられる立場ではない。
 杉浦の図太さはそういった方向へは働かないだろう。こいつはうねりに乗っているだけなのだ。
 違う。こいつだけではない。誰もがうねりに巻き込まれているだけだと思う。俺だってそうだ。気がつけば訳のわからない役割を押しつけられていた。
 設営テントから揃いの黒いTシャツを着た若い男が数人やってきて杉浦を呼んだ。
 俺はなんでこいつと会っているのかわからなくなっていた。会うまでは何かを期待していたのに。
「すみません。これから議員さんと打ち合わせがあるんです。スピーチ終わったら連絡しますよ」
 杉浦はそう言うと設営テントに戻った。
 
 杉浦も井上もほしがっていたネタは俺のリュックに入っていた。勃起補助薬で頼りなさげに勃起するペニスがこの国の命運を左右するらしい。仮装に耽る初老の男がこの国の暗部を抉るものらしい。皺のよった下腹部に少年の頭を押し付けている中年女もそうらしい。 
 プリントされた写真が数十枚とネガが厚さにして3センチほど。
 事務所にしていたマンションのエントランス、ゴムの造木鉢に隠しておいたものを公園に来る前に回収していた。いっそのまがい物の樹の肥料にでもなればよかったと思う。しかし俺が隠したままそこにあった。
 これを書いている今となってはもう俺の手を離れているし、どうなったのかも興味がない。
 
 

第二十二回に続く
隔日更新予定
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