チケット運は日頃からあります。 タイムマネジメントが赤ちゃんより出来ないので、いつも始まる直前か2曲終わったあとにエントランスにいます。 今回は整理番号が1番でしたので、少し余裕をもって来ました。 柄にも無い最前列ドセンター、 18時2分に貰ったビールはもう無いので、空っぽのカップを持ったり置いたりしてます。 少しニッチなのか、俺に見識がないのか、開場から開演までに流れる曲の十割が分からないです。 でも今日は、今は、その全てがルールで法律で、許容出来るイベントであって、
自分は 嫌いなものがそんなにない、 拒否をそうしない。 あるものでいい、 無いものを強く求めない。 そんな所を、やや長所くらいに思っていた。 まだ少しくらいは長所かと思ってもおります。 5% 最近よくかまってくれる、一回り年上の職人が居ます。(一回りって元の数値からどれだけ離れた時のことなんだろ、毎回思う) その職人はまさしく、職の人で。 人間が太いというか、 物を眼球を通して見てるというよりも、感覚で捉えて本質で抑えてるような人。 会ったら分かるんだけど、なるべくし
小学校の時、その日使った体育着を学校に忘れて、それを母親に言えるはずもなくて。 「あんた体育着どうしたの?今日体育あったでしょ?」の一言で、予期出来たはずの、でも突然の刺突に近い罪悪感とその他諸々の苦しみで涙腺を破壊した日。 (事情は割愛) 大学にあまりに行かなかったために強制退学を食らった、あの日のあの背中の冷や汗。 心の底からすきだと思ったあの子が、確実に自分の手から離れて、間もなくして誰かの彼女になったと知った、何の変哲もない夕方だったり。 あの瞬間には、息の根を
今日は町田に行きます、探してください
先月に行った竜神大橋、何県だか忘れてしまったけど。 自然が作った渓谷が「人間にはコレ作れる?」といじわるに胸を張って来ているかの様に、見せつけられるような景色を楽しんだ。 「世界には人間の力なんかじゃ決して及ばぬ風景があって、だからこそ人は感動をしたりする。例えばグランド・キャニオンとか。」 東京は僕の憧れが日に日に増しているエリア。 記憶力と、地理が最高に疎い僕にとって「あの日行った居酒屋が中野区なのか、世田谷区なのか」もそうだし、そもそも東京23区に何があって、それがど
会社に属さない4年か5年を過ごしてきた。 今日はとある月の1日目でしかなかったけど、街を歩けば、どうもフレッシュを感じる。何で感じたかは未だに不明で、だけどそこには確かにあった。 「社会人頑張って」 仲良くしてる友達が載せていたストーリーで気付く。 その瞬間に目頭がキュっと閉まるような感覚と、心臓が少し温まった気もした。 新年度が始まったのをそこで知る。 積み重ねを経て、今日が門出になり、新しいステージに身を投じる。 自分にはなかったイベントを、人を通して感じる。 幾分か
投稿に漕ぎ着けた文面より、下書きで沈黙を貫かされている文面が味がよくするのかもしれない。 やーーーーーっぱり TOKYOに対する、憧れ由来の胸の高鳴りがある。 東京人というトッピングがキラキラしてる。 (東京に永住したい訳では無いです) 流行り廃りが詰まっていて、実力と偶然が交差していて、全知も無能も息をしている、カオスでサイエンティックな。 (サイエンティックって言葉ありましたっけ?) ゆくゆくは埼玉に戻っても、四国とか福岡とか、そういう地に根を張っても良いのかな。
悲惨な二日酔いなどでは人は変われない。 友達の結婚式で感動はするが、人はそう変わらない。 でも巻き爪になると、足元をケアした歩き方を常に意識するようになる。 大きなイベントでは簡単に人は変わらないけど、小さな出来事だと人は案外、そして無意識に変わってしまう。 今日は床を濡らした雑巾で拭いた。 ピカピカになる床がなんか素敵だったし、まぁまぁ汚れた雑巾に申し訳なくもなった。 昨日より綺麗な床を、やり方は知らないけど、汚さないように歩いたりもした。つま先で立ってみたり。
「記憶を無くして、体力も当時のステータス、時代背景も交友関係も何もかも小学一年生に戻れるなら、何をしますか」 確実にサッカーと空手とピアノを習います。 ※記憶を無くすが前提条件なので、この選択肢を取りたい今の俺の感性は引き継がれません。よって難易度は上がります。 幼少期の習い事の本意って、 "嫌なことを続ける" という点にすごい重きがあると思う。 嫌なことと対峙する、嫌なりにやる、嫌を耐えて超える、また来週の木曜日にこの嫌がいる。 ここの連続性に自らが置かれ、嘆き喘ぐ
まずはこの画像*をご覧頂きたい。 「2ヶ月後の僕が見た時戦慄をする」のは予約事項ではあるけども、なかなかにいいことを言ったと思っている。 いや、すでにほんのりと戦慄している。 寒すぎるからである。 1人で飲むお酒も悪くは無い、良いのではなく悪くは無い。 ただ、1人飲みはリアリティに欠ける側面があると思う。 去来する盲信、時間経過に伴い謎に上がる気持ち、司会進行の居ない空間性、1人飲みにおけるこれらがリアリティの乖離を押し進める。 2人飲み以降はそれが極端に減少する。
ワンピースのルフィがめちゃくちゃ嫌い。 基本自分中心で、周りが見れてない。 だけれど一挙手一投足でほぼ確実に人を巻き込む、求心力が際限ない。 努力の人であり、才能の人である。 いつもニコニコしてる。 めちゃくちゃ嫌いなんですよね、あんまりそばに居てほしくないタイプ。 世界的人気キャラを勝手に敵に回した私はと言いますと ・人にどう思われているかが肝心 ・行動を起こす時は低リスク案を単独運用 ・才は知らない、努力は鬼苦手 ・いつもムスッとしてる ルフィの対偶と言っても過言
「フリーランスで」 「場所時間問わず」 平成後期、ないしは令和から一般化してきた(と思ってる) "ノマドワーカー" 行動力、才覚、あるいは人柄 etc.. 色んな要素が噛み合ってくると、報酬に直結しやすい。(と思ってる) ただ、そこは危険地帯の無法地帯。 地雷原で一輪車漕ぎながら蕎麦配達するくらいリスキー。 そして常に思う 「これで正解なのだろうか」 「もう少し早くから手をつけてたら…」 この二重問答。 僕には兼ねてから憧れている人が居ます。 アーティストの Lee
選手宣誓ってなんでしたっけ。 フリーで動画撮影/編集をして、たまに絵を描いて、後はなんとなく色んなことをして食いつないで数年。 将来の不安という、同世代なら数年前の就活時期に抱えて、無事に克服するはずの過程をすっ飛ばして来てしまった。 「動画作ってるの?凄い」 「ホント色んなことしてるよね」 これを聞く度に嬉しさ40%と怖さ60%の混合物が心臓に満ちていく。 理由も無く毛嫌いしたサラリーマンがどれだけ素晴らしいものか。 安定を捨てて戦うような器量は僕にはそもそもないはず