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最初の1歩は肝心じゃないよ

会社に属さない4年か5年を過ごしてきた。
今日はとある月の1日目でしかなかったけど、街を歩けば、どうもフレッシュを感じる。何で感じたかは未だに不明で、だけどそこには確かにあった。

「社会人頑張って」
仲良くしてる友達が載せていたストーリーで気付く。
その瞬間に目頭がキュっと閉まるような感覚と、心臓が少し温まった気もした。

新年度が始まったのをそこで知る。
積み重ねを経て、今日が門出になり、新しいステージに身を投じる。
自分にはなかったイベントを、人を通して感じる。
幾分かの嬉しさと、今にでも傍でエールを送りたい感情、それと自分に対しての物言えなさ(?)・後悔とまではいかない何かが同時にゆっくり込み上げてきた。

最近は友達のことを考えると、いつでもどこでも涙が出そうになる。
僕は彼らの全てを知ってはいないし、彼らも僕についてはそう。
そしてこの先、どれだけ知り合えても、値は100%には達しない。
いつまで経っても他人で、友達は家族ではない。
儚さはない。
マストな存在であることに違いはない。
でも、我々は他人。
だからこそ門出だ、祝い事だなんかをされてしまうと、それに至るまでに要した努力を "見えないからこそ" 愛おしく、誇らしく勝手に思ってしまう。

付き合いは7年ほどの友人(男)が、この前プロポーズをした。
涙を見せ合う仲ではなかったから、そこに「おめでとう」の言葉だけを送ることにした。
本当は抱きついてやろうかと、友達として好きだったけど、男として大好きだと。尊敬しているよと言ってもみたかった。

彼は不器用ではないけど、器用とも言えない。
「最小限の労力で成果をいかに出すか」
AIみたいな人間だと思っていた。
話は変わるけどこういうタイプの男は本当にモテると思う。
おめでとう。

身近な交友関係において、僕らが知る多くは "その結果" 
それに対して声援や激励をもって労う。
その結果をいかにして獲得したのかは、そうそう聞かないし、聞けない。
過程の大変さを自ら言う人も、まぁ少ない。

社会人になりました!の裏側に、何年としてきた勉学なりがあって、それが実った今日。
婚約しました!を迎えるまでに、彼氏としての日々、旦那さんになるという意識を持つ歩み的な、、なんだろ、分からないけど、なんか色々。

考えるだけで胸にくるものがある、勝手にある。
ここが一番怖い。勝手に推測して感涙している、怖いね。

輝かしい成功例、勇気ある一歩を見ると自分と比較する。
そして自分に卑屈になる。空虚ですね〜。
でも最近は負のフィードバックは早めに切り上げて、割と早めに前を向く。

間違っていても、誰かに後ろ指を指されても、大丈夫。
失敗して即終了なんてそうない、大統領とかなら話は別だけど。
やり直せる、何度でも、いつでも。
なりたいものには必ずなれる。
明日なれるかは無理だけど、来年とか。

藤井聡太という将棋棋士がいたり、藤井つながりで藤井風が才能を爆速で爆発させている。
若いのに素晴らしいなとか思ってしまう。
僕も若い。
それを忘れてしまっている。

最初の一歩をもう踏み出せないものと感じていた。

来年このnoteを自分で見てどう思うのかな、



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