明日が昨日になって去年になって
小学校の時、その日使った体育着を学校に忘れて、それを母親に言えるはずもなくて。
「あんた体育着どうしたの?今日体育あったでしょ?」の一言で、予期出来たはずの、でも突然の刺突に近い罪悪感とその他諸々の苦しみで涙腺を破壊した日。
(事情は割愛) 大学にあまりに行かなかったために強制退学を食らった、あの日のあの背中の冷や汗。
心の底からすきだと思ったあの子が、確実に自分の手から離れて、間もなくして誰かの彼女になったと知った、何の変哲もない夕方だったり。
あの瞬間には、息の根を掻き切るような切れ味を誇ったイベントも、今となれば「思い返そうとしないと」振り返りもできない。
人の性として仕方の無い、一種の悲しいシステム。
良い事も悪い事も、新しい記憶に踏みつけられて、その大体を順当に忘れていく。
「人は傷つくと強くなる」みたいな
「傷ついた分だけ優しくできる」だったりの
人は過去に泣かされる前提の、この人生というシステムの大欠陥。
今はそれが気持ち良くて、心地良くて、会いたくて。
未来を考えて、将来に憂いて、今を律してしまいたくなる。
ただ、その今というのは昨日までの自分が編んできたセーターのようなものであるはず。
間違えたり、意図してない柄になることは避けられない。
だから、少しでも過去に愛に近い感謝をしたい。
過去は何をしても、何を積んでも、何がなんであろうと、帰ることが出来ないと言われてる。
明日笑おうとして笑えたって、昨日泣いたことは変えられない。
昨日はものすごい速さで今の自分から遠ざかる。
なんだか可愛いな。
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