サッカーと空手とピアノ
「記憶を無くして、体力も当時のステータス、時代背景も交友関係も何もかも小学一年生に戻れるなら、何をしますか」
確実にサッカーと空手とピアノを習います。
※記憶を無くすが前提条件なので、この選択肢を取りたい今の俺の感性は引き継がれません。よって難易度は上がります。
幼少期の習い事の本意って、
"嫌なことを続ける"
という点にすごい重きがあると思う。
嫌なことと対峙する、嫌なりにやる、嫌を耐えて超える、また来週の木曜日にこの嫌がいる。
ここの連続性に自らが置かれ、嘆き喘ぐ過程を持ってして、精神の鋼を打つ。
この嫌をよりスパン短く、威力が高く、そしてもっと不合理に襲い来るシナリオが「社会人生活」の根幹を成しているのだろうから。
習い事をこなす、あるいは何らかの形で回避することこそに非常に大きなポイントがあるのだと思ったりする。
「金かけてそれ学ばせるわけないだろ」
「習い事じゃなくていいだろ」
ご明察です、真理です。
確かにその通りで、「耐え忍ぶ」を体得するがために、課金して嫌なことさせるは効率が悪い。というか得策じゃない。
ただ、習い事という青年期までに無くなる特殊イベントは、割と大人になってから日の目を浴びることがある。
サッカーをしていた人、部活動でも同じことが言えるのですが、
「彼らは強い」
本当に強い。
何が強いって全てが強い。
偏見のタコ殴りですが、サッカー経験者は基本的に何もかもが強い。
サッカー経験者のここが強い
・だいたいメンタルお化け
・8割のスポーツを何となくでできる
・サッカーを観れる
・ガタイがしっかりしてる
・めっちゃ酒強い
この5つを全て網羅できるのが、サッカー経験者だけなんですね。
社会人が直面する、メンタル面にまつわる問題。
会社や人間関係で悩みがち、仕事が嫌になる…。
人はここで悩むし、挫折を選ぶこともする。
サッカー経験者も同じく悩むことをするが、そこで止まらない。
何故なら、今己を蝕むこの問題は "自分の全て" ではないから。
サッカーというチームプレーを経て、誰かのミスをカバーしたり、逆に自分の不得意を他の誰かが補うという相互関係をピッチ上で既に学んでいるから。
これは囲碁将棋クラブ、ペットボトルキャップ集め部を遍歴した僕には無い感覚です。
今の悩みはもちろん辛いこと。
だけど、それと今週の飲み会は別だし、それを楽しむことと仕事は直接的には関係の無いこと。
攻守の交代を肌で感じて、行動に起こせる彼ら。彼らが10数年前に会得した術が社会生活において、まず携帯するべきマスターキーなわけであります。
続いて参りましょう(?)
空手経験者のここが凄い
・武道がそもそもヤバい
・精神を感受するのもヤバい
・"強さ"を誰にでも伝えやすい
・かっこいい
空手はですね、あまり詳しくないです。
あまりどころか、何も詳しくない僕でさえ、空手をしていた・している人というのは人として別ベクトルの強さを兼ね備えている(というイメージがあります)。
基本的に格闘漫画の強キャラは空手を嗜んでいます。
そして、格闘漫画の自称強キャラ実際雑魚は、空手をバカにしています。
更には格闘漫画の「この後、強くなる奴」は空手に触れます。触れてから強くなります。
動きに心を宿す、声に心乗せる、全力を人前で出せる。
これは普通の生活をしていてはまず無理です。
この全てを同時に課して、この全てを底上げできるのは、武道であり、ひいては空手こそ顕著なものだと思う。
「学生時代何してた?」
「空手をやっていました」
このワンセッションで、有段者であろうとそうでなかろうと、武道に精通していたという事実こそが何よりも眩い。
剣道でもムエタイでも合気道、カポエイラ、ボクシング、柔道でもいいですね。
武の道に従事していたというのは、そうでない人から一目置かれるし、同じ人からしたら一気に心が近くなる。
この逆にあるのが
「武道、格闘技を見下している人の"可能性を自ら狭めている感"の凄さ」という問題。
僕は過去に武道も格闘技も、というかスポーツ全般を嫌っていました。
理由は色々ありましたが、勝ち負けを決めることに凄い嫌悪感があって、そもそも泥臭いことが嫌いだったからです。
今はめっちゃ好きかと言われたらそうでも無いですが、自分が知らない世界である分興味はあります。
そして、自分がサッカーでも空手でも経験していたら、より広がったものはあったと確実に言えます。
人生における損得でスポーツを取捨選択しようとしてるあたり、まだ甘いところですが、そこはご容赦を。
ピアノはもう、この流れとほぼ変わらないです。
文系習い事の代名詞であり、特に音楽というジャンルであることがより強いのかなと。
幼少期は水泳をしてました。
毎週木曜日が本当に苦痛で、よくトイレにこもっていました。
こもったトイレでやることがなく、壁紙を爪でほじくって「イシシ」「ノシシ」と書いて死ぬほど怒られました。
死ぬほど怒ってくれました。
何故怒られるか、それが将来のためだとか、プールやってなんの意味があるのか、常に小さい頭で不合理さと言い争いしてました。
今はそれを甘んじて、心が嫌悪で満ちるほど浴びてみたいです。
最後に、小さい頃は絵本を沢山読んでもみたかったです。
極度の活字(読む)嫌いにメスが入ったら、どうなっていたか、たまに考えたりします。
ちょっとなんか、悲しくもないけど泣きそうな気持ちしてきたんで、終わりにします。
おまけに
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