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ペルー日記

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青年海外協力隊としてペルーで過ごす日々の記録。1日1記、書きたいと思います。
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#青年海外協力隊

任地で1か月ぶりに書くnote

ペルー430日目(/57日目)、任地396日目(/49日目)。月曜日。 お久しぶりのnoteです。この1か月は本当に一瞬でした。 協力隊として海外で暮らす生活は毎日が新鮮でひとときも欠かすことなくnoteに綴るのが習慣になっていましたが、その習慣を少しストップしてました。あっというまに9月が終わろうとしています。私の協力隊生活も残すところあと2か月となりました。 最近は家計簿のワークショップをやったり農家に訪問して話を聞いたり学校に行ってツーリズムの話をしたり首都のリマで

生きた化石「アラパイマ」と少しのモヤり

ペルー404日目(/31日目)、任地370日目(/23日目)。水曜日。 土曜日から火曜日までの4日間、ペルーは連休でした。今日は久しぶりの出勤。同僚のイベントの手伝いをしてきました。 「アラパイマ」またの名を「ピラルクー」、そして私が住む場所では「パイチェ」と呼ばれるこの魚。大きい、 https://zukan.com/fish/internal1195 今日はこの魚のイベントでした。任地ではパイチェと呼ぶので以下そう呼ばせていただきます。パイチェは淡水魚で熱帯に生息す

めまぐるしい週末の大切な時間

ペルー395日目(/21日目)、任地360日目(/13日目)。日曜日。 最高に充実した週末でした。 水曜日はコンポストの講習に参加して(拝聴)農家向けの資料作成。木曜日も資料作成の後農家に訪問してミーティング。金曜日はカクテルのタジェールを観光課の同僚が企画したので手伝いに同行、その夜は音楽隊のメンバーとの練習。土曜日は朝から役場でのイベントに参加、お昼をピウラ大学の偉い人と市長とカウンターパートと食べて土日は同僚の家へ。最高に充実した週末でした(2回目、笑)。 前回とは打

アミーガとアミーゴが恋人になってた話

ペルー388~390日目(/14~16日目)、任地353~355日目(/6~8日目)。懐かしの日曜日と、活動のための資料をただただ作る月曜日と、友達と2年半ぶりに再開した火曜日でした。 タイトルは火曜日の話です。 懐かしの日曜日。この日は洗濯からスタート。私の任地では洗濯機はほぼ普及しておらず基本的にみんな手洗いです。ということで、私の休日は1週間分の洗濯物の手洗いから始まります。 樽に洗剤と洋服と少しの水を入れてごしごし。それを洋服の数分だけ繰り返し、最後は水にくぐらせ

勤務初日。変わっていたことと変わらないこと

ペルー384日目(/10日目)。任地349日目(/2日目)。 本日は朝から配属先へ、いろんな方に挨拶をして帰宅。水シャワーを浴びてご飯を食べ、民族音楽隊のみんなのところに行きました。 さてまずは朝家を出るとホストファミリーの親戚とばったり。一緒に三輪バイクで乗せてってもらいました(ラッキー!)。8時半出勤を命じられたので朝食を先に食べようと、2年半ぶりに知り合いのお店へ。わ~~変わってない、、、!笑。 味もメニューもそっくりそのまますぎて、なんか本当に私一時帰国してたっけ?

2年半弱ぶりに念願の任地へ移動

ペルー382~383日目(/8~9日目)。月曜日&火曜日。 月曜日は朝JICA事務所に行って簡単なオリエン、午後は時間ができたので大きいショッピングモールへ。火曜日はいよいよ任地への移動でした! 月曜日のショッピングモールの目的は、本屋さんで①中学校の歴史の教科書とDELEの教材を買うこと、②防犯グッズを買うこと。の2点でした。結論から言うと、どちらも達成できませんでした!笑 行ったのはJockey Plazaというペルー最大級のショッピングモール。日本の幕張イオン的な大

ペルーのコロナ対策事情

ペルー378日目(/4日目)。木曜日。今日もオリエンな1日でした。 とある方に私が以前やっていた活動を感謝されました。 コロナ禍で家にいないといけなくなったペルーの子どもたちがさぞかし踊りたいだろうと、緊急帰国直後にダンスを踊るワークショップ(パプリカダンスやピカチュウの手洗い動画)を2か月ほどやったのですが、ペルーや中南米にいる子どもたちだけでなくペルーにいる日本人の子どもたちも参加してくれたのでした。 楽しかった!という子どもの声も嬉しかったけれど、 娘や息子が楽しそう

ホテル暮らしと後任の話

ペルー377日目(/3日目)。水曜日。☜今回の滞在日数が分かるように表記を変えることにする。(※ですますとである調が混在するこのnoteだけれど、気分と内容で変えてます) 今日はオリエンテーションと活動についてのブリーフィング。 活動については私の所属する役場の人事もいろいろに変わっているらしく、引き続きカウンターパートになる予定の人がすでに辞めちゃったらしい。CP(カウンターパート)変わる問題、もう慣れたけれど他の隊員もこんなにかわるのかな?みんな活動どうしてるんだろ~

シャワーの圧力は吹きかけの息で補填する

ペルー376日目。本日はオリエンテーションな1日でした。 前回の資料もどこまで必要だったかわからずとりあえず持ってきたのですが、今回用に再度更新したものをいただきました。 オリエンテーションとは何をするのか、家族などにも聞かれるのですが、こちらで暮らす諸々のことについて、手続きだったり流れだったり注意事項だったりを共有します。 ペルーに来る前はJICAとしての足並みをそろえるための研修だったりオリエンテーションがあるのですが、それぞれの任国に行くと国ごとにルールや勝手が異

ペルー日記を再開します!!

ペルー375日目。ついに、ペルー日記を再開することになりました!!泣くほどうれしい、、、なにこれ、感慨深すぎる。。。前回ペルーに374日間いてそこでペルー日記は終了したので、日数はその続きをカウントすることにします。 突然のコロナ禍、突然の緊急一時帰国の達しを受け、2020年4月に任地を去り、その数日後にペルーを去って早2年と4か月が経過しました。あっという間の期間で、もう2年半弱経ったのかという気持ちもあるし、ペルーが久しぶりすぎてすごく待ったなあという気持ちもあるし、ど

日本に帰国しました

パワーチャージ期10日目。 先日日本に帰国し、今は空港近くのホテルでゆっくり羽を休めながら、いろんな人へ帰国の報告を行っています。 noteへのご報告は遅くなってしまいました。心配いただいていた方がいたら、ご報告遅くなってごめんなさい。 非常事態宣言が出ていて陸路の移動が禁止され全ての国境が閉鎖されているペルーから日本に帰るのはそう簡単なことではなく、ペルー隊員は世界中で一番遅い帰国となりました。 ファーストステージ。自分の住んでいた任地タンボグランデからピウラの州都

ペルー日記、ありがとうございました

任地351日目。ペルー373日目。木曜日。 この前陸路でピウラからリマまで移動。20時間の旅。それを経て今はホテルで時間が来るのをひたすら待っています。 明日飛行機で出発し、メキシコを経由して日本へ。日本では到着後すぐにJICAの指定する施設で14泊15日の隔離を得て実家に戻ることになります。ペルー隊員、この度の一時帰国は協力隊員中世界で一番最後になりました。 自宅待機や陸路移動の苦労や知恵を共有することもなく、コロナの懸念もあるので隊員同士も一定の距離を保ち、久しぶり

1年間、くそお世話になりました!!

任地347日目。日曜日。 (タイトル、言葉遣いごめんなさい。(笑) 知っている人はわかると思うけど、国民的某マンガのコックの名台詞とかぶせてます。) これが任地で書く最後のnoteになりそうです。(ひとまずのところ) 2019年の4月24日に降り立って約1年間。 もう帰るなんて全然実感がわかない。 酸いも甘いも、喜怒哀楽も、たくさん経験させてもらいました。 たくさんの友人に迷惑をかけ、たくさんの人に優しくしてもらいました。 人生で、一番泣きました。 人生で、一

非常事態時の過ごし方<待機生活16日目>

任地343日目。待機生活16日目。 元気に過ごしています。待機生活も2週間以上経過。もうプロって呼んでもらっても大丈夫です(`・ω・´)b ある一定待機生活が続くと慣れはくるものでして、あと腹も括れるというか、全然今はメンタル的にも大丈夫です。 非常事態宣言が3月15日に出てから、先週それが延長になりました。学校は5月6日から少しずつ生徒を増やしていって開始するみたいです。 非常事態宣言が出て少しずつマーケットの出店数も減っていますが、大きめのフルーツ屋さんなどは品ぞ