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あえて間違えて使う言葉/インターネットミーム
私は“すべからく”の誤用収集家なのよ
大学生の頃に習った英文学の先生が言っていた言葉です。
これが印象に残っていて、今でも“すべからく”という言葉に反応してしまいます。
「すべからく⚪︎⚪︎するべし」(ぜひ⚪︎⚪︎するべきだ)のように用いるのが本来の意味ですが、「おしなべて」「すべて」のようなニュアンスでの使用が多く見られます。
同様に、「確信犯」という言葉も、もはや間違った使い方が一般的。
①道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など。
②《①から転じて》悪いことだとわかっていながら行われた犯罪や行為。また、その行為を行った人。
本来の意味は①の方ですが、現代では自覚がありながら行われる行為の意味で使われる例がほとんど。
言葉は使う人々によって移り変わっていくものなので、持った違和感を一々指摘するのも無粋なように思われます。しかしもやもやするのも事実。
もう一例あげてみると、「片腹痛い」(傍ら痛い)の誤用は中世から始まっているようです。
平安時代の用例では、「片腹痛い」は「笑止千万」ではなく「心苦しい」というほどの意味。
個人的には、「片腹痛い」を平安時代の意味合いで使用している例を実際に見たことはありませんし、誤用されている期間の方が長くなるということも、往々にしてあるのでしょう。
インターネット用語
最近興味を持っているのは、「確信犯」的に使われる“日本語としては正しくないが、あえて用いられる表現”。
「お出しする/される」
「来客にお茶をお出しする」ではなく、「公式が神企画をお出ししてきた」のように、すばらしいものを提供された場合に用いるインターネットミームのようです。
少し古い言葉で言うところの、オタク用語でしょうか。
「無事」
文脈と乖離した「無事」に面白さを見いだす使い方です。
「走ったから無事間に合った」ではなく、「走ったのに無事遅刻」のように案の定うまくいきませんでしたという自虐の意味で用います。
これらの場合、日本語的な正しさは問題ではなく、“こういう場合はこう表現するものだ”というお約束で用いられるので、文法的な正しさを重視すると文脈を理解できなくなります。
誤用が一般的になる場合と、“死語”としてその時代特有の言葉になる場合。
分かれ目はどこなのでしょうか。
「俺の嫁」から「推し」にスラングが変化したように取って代わるメジャーな語彙が出現するか、細々とでも用いられ続けるかが分かれ目のような気がしています。
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