記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「答え(宝物)」は「すぐそば」にある

※2500字以上の記事です。
 お時間のある時に
 お付き合いいただけると嬉しいです。

※この記事はネタバレを含みます。

小説『アルケミスト』、
映画『自虐の詩』のレビューを
投稿しました。

二つのレビューを書いていて、
「なんか似ているぞ」
と思ったんですよね。

いや、「似ている」というと、
語弊があるかもしれません。

なんせ、パッと見では、
二つの作品に共通点は少ないです。

『アルケミスト』は、
スペインの羊飼いの少年が主人公で、

少年はピラミッドに眠る
秘宝を探すために、
海を渡り、旅に出ます。

『自虐の詩』は、
幸の薄い主人公・幸江が
「幸福」を追い求める物語です。

世界観で言うと、
『アルケミスト』は、
南米や中東が舞台のファンタジー、

『自虐の詩』は、
現代の日本が舞台の
ヒューマンドラマですね。

やはり、こうして並べて見ても、
共通点は感じられないでしょう。

しかし、私は二つの物語を
思い出しながら、
共通点を見出したのです。

それは二つの物語の主人公が
現状に満たされておらず、
なんらかのゴールを目指して
奮闘する過程を描いた点です。

いや、厳密に言うと、
「物語」というのは、
大体がこういう構成に
なっているんですけどね。

世界が平和であれば、
勇者も冒険する必然性はなく、

最初から順風満帆な人生であれば、
なんのヒューマンドラマも
起きようがありません。

「満たされない」と思うからこそ、
人は葛藤し、もがき続けるんですね。

その「もがき続けた軌跡」が

振り返ってみれば、
ドラマになっていて、
その人にしかない「物語」に
なるのでしょう。

そういう意味では、
私自身もここのところ、
何かと不調で、
鬱屈した気分でしたが、

「もがき続けている」
途中なのかもしれません。

この二つの物語を
改めて振り返り、
そんなことを思いました。

普段、私は「レビュー」
と称する記事では、
「ネタバレ」をご法度に
しているのですが、

この記事は
「レビュー」ではないので、
二つの物語の結末についても
触れていきます。

必然性があって、書くことなので、
どうしても「ネタバレを避けたい」
と思う方は、
この先を読まないでくださいね。


ー以下、ネタバレを含みますー


『アルケミスト』の主人公は、
最後にはピラミッドに辿り着きます。

そこに辿り着くまでにも、
散々な目に遭ってきた
主人公なのですが、

ピラミッドの直前で、
またしても悪漢たちに襲われ、
全財産を奪われてしまいます。

(悪漢と言っても、
 彼らもまた国内の内戦によって、
 生活するすべを失った被害者)

そして、宝が埋まっているであろう、
場所もバレてしまうのです。

夢の達成の直前で、
このような不遇に見舞われた
主人公でしたが、

悪漢の中に、
こんなことを言う者がいました。

「二年前のことだ。
 まさにこの場所で、
 おれも何回も同じ夢を見た。
 スペインの平原に行き、
 羊飼いと羊が眠る
 見捨てられた教会を探せ
 という夢だった。
 (中略)
 そのいちじくの根元を掘れば、
 そこに隠された宝物が
 見つかるだろうと、
 おれは言われたのだ。
 しかし、ただ同じ夢を
 何回も見たからといって、
 砂漠を横断するほど、
 おれは愚かではない」

『アルケミスト 夢を旅した少年』

ここに出てくる
「スペインの平原にいる羊飼い」
というのは、主人公のことです。

つまり、主人公を襲った人物が
見た夢の預言が正しいとすれば、

「宝物」は主人公が
最初に居た場所に
あったことになります。

結局、ピラミッドでは、
宝が見つからないのですが、

この話を聴いて、
主人公は故郷のスペインに帰り、
いちじくの木の下から
宝物を発見するのです。

主人公の足元には
最初から宝物が
隠されていたんですね。

しかし、少年が旅に出て、
ピラミッドに行かなければ、
このことを知ることも
できませんでしたし、

道中で出会う、
運命の女性との出会いも
ありませんでした。

この小説は、この終わり方が
すごくいいんですよね。

「ピラミッド」がゴールではなくて、
結局は故郷に帰り、
そこで本当の宝物が眠っている
ということなんです。

かといって、
旅に出たことも否定していません。

そこで得た経験は、
主人公を大きく成長させました。


『自虐の詩』の後半は、
幸江が妊娠し、その後、
事故に遭ってしまうことから、
回想シーンに移行します。

その間にイサオとの馴れ初めなども
明らかになっていき、
クライマックスに向かっていきます。

幸江の妊娠に、
イサオは戸惑いしか感じられず、
なんの言葉もかけることが
できませんでした。

子どもができたことが
「嬉しい」のか「煩わしい」のか、
すらわからないまま、

幸江はイサオから
「出ていけ!」と
言われてしまいます。

そんな中で、不運な事故に遭い、
意識不明の状態に
なってしまったのです。

幸江を追い出したイサオでしたが、
事故の話を聞いて、
慌てて病院に向かいました。

イサオが病院についてからも、
幸江は手術室に入ったままで、
意識は戻っていません。

意識を失った幸江は、
手術台の上で、
今までの人生を回想しています。

子ども時代、
家が貧乏だったせいで、
イジメられ、

それでも、
いつもそばにいてくれた
友人がいたこと、

両親がいなくなってしまい、
一人、東京に向かう電車の中で、
友人がくれた弁当を食べたこと、

イサオとの出会い、

さまざまなことが
走馬灯のようにグルグルと
頭の中を回ります。

そして、彼女は悟ったのです。

今までずっと、
「幸せ」を追い求めて
生きてきた彼女ですが、

それは追い求めずとも、
彼女のすぐそばにあったのです。

数は少ないながらも、
彼女のことを気にかけてくれる
人たちの顔が次々に浮かんできます。

そして、目を覚ますと、
そこにはその人たちの姿が
ありました。

「イサオがいない」
と思って、必死であたりを見回すと、
手術室の入り口の影に、
その姿がありました。

イサオの姿に気づいた
家族や友人たちは、
その場を離れ、
幸江とイサオの二人にしてあげます。

イサオは幸江に
「また海に行こう、三人で」
と言いました。

こうして、幸江は、
以前よりも幸福を感じながら、
日々の生活を送ることが
できるようになりました。

これが『自虐の詩』の結末です。


『アルケミスト』『自虐の詩』

一見、共通点がなさそうな
二つの作品には、
前述した共通点のほかに、
もう一つの接点がありました。

つまり、二つの物語の主人公が
追い求めていたものは、

遠くにあるものではなく、
主人公のすぐそばにあって、
それを知らなかっただけなのです。

この二つの作品は、
どちらも最近の作品ではないですし、
たまたま同時期に鑑賞したものですが、

なんだか今の自分の心境に
ピッタリな作品に感じました。

そして、そのことは、
こうしてレビューを書かなければ、
気づけなかったので、

改めてレビューを書く大切さを
知った気がします。

私の悩みの「答え」もまた、
すぐそばにあったんですね。

つまり、私の悩みの答えは、
こうしておもしろい作品を楽しみ、
それを伝えることで得られました。

この行為こそが、
私の宝物です。

いいなと思ったら応援しよう!

いっき82
サポートしていただけるなら、いただいた資金は記事を書くために使わせていただきます。

この記事が参加している募集