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3:太陽とバラと緑

3年ぶりの彼と

決して彼氏ではない、それでも付き合いはもう20年になる彼と再会した。大きな木々と美しいバラ、少しずつ差し込んでくる太陽の光に照らされて、ポツポツと話す彼は相変わらずコミュ障でした。

支援するされる関係

20年前は支援するされる関係だった。当時の私はまだ駆け出しの支援者で、とにかく一生懸命、全力疾走。きっと時には本人の気持ちを置き去りにしていたこともあったのではないだろうかと、今思い出すだけで赤面して布団の中に潜り込んでジタバタしたい時代だった。

彼も負けずと一生懸命だった。やることなすこと、うまくいかなかったけど、当時の私はただ不器用だけなんだろうと思っていた。

私が別の職場に移ってから、彼には障害があるということがわかった。ショックだった。もっと私が早く気がついていれば、彼の時間を、人生を無為に過ごさせることはなかったんじゃないかと。

責められることはなかった

数年後、再会したとき私は罪悪感の塊になっていて、うまく話すことができなかった。帰りの駅の改札で思い切ってそのことを話して謝った。
彼はくしゃくしゃの笑顔で「そんなことを考えてたの?案外バカだな~」と言って帰っていった。

私の罪悪感の塊は「バカだな~」という言葉であっけなく砕かれてしまった。その一言に、彼と私が過ごしてきた時間が凝縮されているような気がした。

当時の私は、支援者はあくまでも支援する人であり、支援される人から何かを与えられたり、影響を受けることはないだろうと、非常に傲慢な考え方を持っていたように思う。

あの瞬間、私は彼からこれまでの関係を振り返れと言われたように感じた。一緒にあれこれ悩んで、泣き笑いしていた時間は、一方的な関係だったわけじゃないだろうと。私にとって、あの一言が自分の成長に大きく影響を受けたのだ。

彼の一言が私と彼を隔てる壁を打ち砕いた。そこから私と彼の関係は、支援するされるから、友人とも家族とも言えない不思議な関係に徐々に変化していった。

彼とともに泣き笑い怒る

彼には支援する人がちゃんとついている。
人間関係に敏感で、他人の気持ちを奥深く読み取ってしまう彼は社会生活を送るのが辛そうだ。

ひとりで闘うにはこの世の中はなかなかにしんどい。であるならば、私ができることは、彼の話にゆっくりと耳を傾けることだ。ついでに私の話も聞いてもらう。友だちだから。

年に1回。緑がたくさんあって、人があまりいないいつもの場所で会って、コーヒーを飲みながら、彼の話を聞く。ときに一緒に怒り、泣き、笑い。こうしてともに年を重ねていこうと思った。

問題解決だけでは、人は生きていけない

福祉の究極の支援は、その人の生きる道に薄く細く関わり続けることだと思っている。圧倒的に不公平で、圧倒的に非効率的で、コスパが悪すぎて正式な支援メニューには入れられませんが。

でもね、人間って福祉制度だけで救われる人なんていない。
公的給付を投入しただけで、すべては解決しない。

この国の大きな問題は、あらゆるもの、こと、人に繋がれない人が増えていること。だから、究極の支援は繋がり続けること。


今日も結局長文になっちまったな。まあ、いいか。

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