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「希望を持て。」


ヴィクトール・E・フランクル著・「夜と霧」を読んだ。

第二次世界大戦中のアウシュビッツ収容所で繰り広げられた「絶望」を経験した著者が事実に基づき綴った作品。

著者はすでに亡くなっているし、こういう経験をした人もこれからどんどん亡くなっていくけど、当時の背景や想いを伝えられる本やずっと残るコンテンツって凄いなと改めて思う。

この本は世界的名著で、常識的にもそうだし、人間と戦争の愚かさや弱さを知れるから今生きている人は一度は読まなければいけない作品だ。

どういうことを戦時中の人間はやってきたのか?どういう悲劇を戦争はもたらしたのか?を知ることは、決して気持ち良いとは思えず目を背けたくなるようなことばかりだ。

それでもしっかり見るべき・知るべきだと思うのは、それが「闇」だからだ。

「光」ばかり強制的に見せられて現実を直視できていないような奴ばかりいるけど、

「光」があるってことは「闇」があるに決まっているんだから「闇」まで見れないと現実を見れないわけで、地に足ついた戦略や現実を変える行動は起こせない。

だから、夢なんか語ってる奴は一生その夢は叶えられないんだよ。

語って気持ち良くなって終わり。ほんと、ただのオナニーだ。

本当に夢を叶えたい人は、夢を語っている暇なんてなく行動しまくっているもの。

まぁ、夢なんてあってもなくてもどっちでもいいんだけどね。



「闇」を見た結果、大事な「光」が見えてくるんだ。

ずっと「光」だけ見せられていたらなにが大事なのかわからないでしょ。

全部大事かもしれないけど、ただ眩しいだけの光っぽいものが混じっていてもわからないんだよ。

だからまず、「闇」を見ることなんだ。

この作品はそんな「闇」を徹底的に見ることができ、「光」が感じれる。

それは、俺みたいな凡人が何か人生を変えたい・結果を出したいと思ったときに大事なことだ。

それは一体なにかというと、

希望を持ち続ける。

ということだ。

アウシュビッツ収容所で亡くなった人と著者のように生き残った人の差は何だったのかを考えたときに、

それは希望を持ち続けられたかどうか?だ。

当然のように、アウシュビッツ収容所では未来を信じれなくなり希望が失うことばかりおこる。小さな勇気を出すことすらできなくなる。
(当然のようにと書いたけど、当然のようにこんなことが起きていることがマジで「闇」。)

その結果、自分自身を放棄してしまうと精神的にも肉体的にも「人間」が破綻していってしまう。(ここら辺の描写は恐ろしかった。)

でも、生き残った著者は希望を持ち続けたんだ。

自分ではコントロールできずに巻き込まれた終わりの見えない地獄の中でも、未来を信じ戦い続けたんだ。

だから、生き残ったんだ。

さらに、著者が超スゴかったのはあの地獄の中で精神科医という仕事をこなしつづけ、自分を客観的にみれてたこと。

それができたから、「夜と霧」を書くことができたんだと思う。


希望って言いかえると、根拠のない自信のことだ。

だから、どんな状況でも根拠はないけど「なんとかなる」って自分に言い聞かせることは大切だ。

どんな状況でもなんとかなってきたんだから、今があるんだ。

上述した通り、夢だけ語ってるオナニーをしてもしょうがないけどね。

大きくなくてもいいから希望と勇気は持ち続けよう。

それが大きな差に繋がる。



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