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「水のように。」
昨日に引き続き今日も松宮康生著・「ブルース・リークロニクル」から。
ブルース・リーは
決して驕らず、自分にとって役に立つと思われるものは、形式に拘ること無く取り入れて発展させていく。
というスタイルで鍛錬し続け、これは俺みたいな凡人でも参考にするべき学ぶ姿勢だと投稿した。
その彼のスタイル・学ぶ姿勢を根底で支えている哲学が水の理論だ。
ブルース・リーはカンフーを語る時によく「水」を例えとして語っていた。
以下が水の理論。
”心を空っぽにして、型のない水になりなさい。
カップに水を入れると、水はカップの型に従います。
ボトルに入れた場合は、ボトルの型に従います。
ティーポットに入れれば、ティーポットになります。
水は流れることも出来るし、衝突することもできるのです。
あなたも水のようになることを学ぶのです。”
水の理論とはつまり柔軟性と対応力の大切さを伝えている。
自分の型にこだわること無く、どんな型にもなれる柔軟性と対応力が自己成長には必要なんだ。
そして、さらに突き詰めれば柔軟性と対応力とは素直さのことだ。
自己成長のために素直に受け入れる。
これが出来る人はどれくらいいるだろうか。
例えば、自分が成長したいと思い師匠を見つけ弟子入りしたとする。
師匠の下での修行は厳しいものばかりで中にはこれは何の意味があるんだ?と思うものがある。
そこを素直にできるかどうかなんだよね。
しかも、速く大量に。
自分から弟子入りしたんだから出来るでしょって思うかもしれないけど、俺は色んな人を観ていると素直に出来ていないなと感じるんだよね。
なんで素直に出来ないかというと、単純にその修業内容に疑問と抵抗があるからだ。
そしてなんで疑問と抵抗が生まれるかというと理解できないからだ。
だから、素直に出来ない。速く大量にできない。
でも、いやいや違うだろと言いたい。
弟子の立場でいる人間が、師匠と同じ視点なわけがないんだよね。
師匠と見えている世界が違うんだから、疑問や抵抗が生まれようがとにかく素直にやるだけなんだ。
今、師匠の言っていことがわかるわけないんだ。
というか、わかったら弟子入りしないし結果も出てるでしょ。
だから、学ぶ立場の人間は水のような柔軟性と対応力、素直さを持つことが重要なんだ。
さらに、そもそも誰を師匠にするか?誰から学ぶか?もめちゃくちゃ重要なんだ。
その水の理論を根底に持っていたブルース・リーは多くの人にもこの重要性を伝えようとしていた。
映画・「死亡遊戯」では、
移り変わる環境に自分を対応させることの重要性
を考えたいと言っていた。
例えばお蔵入りになったけど、
雪の重さに耐えれなく倒れた巨木と
耐えきれなくなると自然と弛み雪を払いのける柳の木
を映す構想があった。
これはまさに強いばかりではなく柔軟性を持つことが大事だと示唆している。
逆境には柔軟性が必要なんだ。
格闘技の天才とはいえ、役者として不遇の期間が長く、現代よりあからさまな差別が跋扈していた時代を生き抜いてスターになったブルース・リーだからこそ水の理論という哲学が生まれたんだろう。