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「孤独を愛せ。」
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では、本題。
ショーペンハウアー著・「幸福について 人生論」を再読した。
ニーチェやワーグナー、トーマス・マンといった偉大な哲学者や文学者に影響を与えた著者が書くこの本は、
詩や格言の引用を散りばめ、ユーモアや風刺を交えながら幸福とは何かを教えてくれる。
はじめて読んだときはけっこう難しいなと思ったんだけど、久しぶりに読んでみたら金言ばかり書かれていて驚いた。
その中でも一番印象に残っているのが孤独について。
孤独を愛さないということは、自由をも愛さないということだ。
と書いてあったように孤独は良いものなんだよと教えてくれる。
というのも、人は独りでいる間だけが自由だからだ。
社会に出て多くの人と交われば、ルールや常識といった「強制」が生まれる。
これは独りでいる間には存在しなかったもので、「強制」とはつまり「犠牲」でもある。
そう、社会に出るには犠牲が必要なんだ。
だから、個性が強い人はそれだけ犠牲が重くなる。
つまり人間は、自分がもっている価値や個性に比例して、
孤独を逃れたり、孤独を愛したり、孤独に耐えたりするんだ。
具体的に孤独によって得られる利益は二つあり、
一つは自分自身を相手にしているという利益
もう一つが他人を相手にしない利益
だと書いてあった。
これは孤独が好きなオレ自身、超実感していること。
というのも、みんな他人を相手にしすぎじゃないか?と感じるからだ。
イライラしたり不安不満になる原因って、だいたい他人を相手にしているからなんだよね。
SNSでの誹謗中傷なんかは他人を相手にしている最たる例だよね。
イライラや不安不満は、外的要因に刺激されて生まれる感情だともっと理解したほうがいいんじゃないか。
他人を相手にしているときには、自分を相手にできない。
でも、自分の人生を生きているならもっと自分に集中したほうがいいでしょ。
なんでそんなに他人を気にするのか?なんでもっと自分に集中しないのか?
色んな人をみているとそう思うことがある。
愚鈍愚物に対して自分が示す道は一つである。
その道とは、そういう人とは口を聞かないということだ。
と書いてあったけど、
これはつまりバカとは付き合うなってこと。
ホントそんなヤツと付き合う必要ないから。
ホント多くの人が他人に反応しすぎ。
孤独に耐える修行をすることを、若い頃の主要な研究課題の一つとするべき。
早くから孤独になじみ、孤独を愛するところまで来た人は、金鉱を手に入れたようなものだ。
とも書いてあって、
今年一年、今までの環境や人間関係を整理して、独りになって試行錯誤したオレは励まされた感じがした。笑
ホント心の底から今年は今までの人生で一番充実した良い一年だと言える。
それは、独りになって、自分で考えて、自分で決めて、自分で行動したからだ。
今までにないくらい色んなものと戦った一年だった。
コミュニティの時代だろうが、チームで勝つ時代だろうが、知ったこっちゃない。
オレが一番恐れている「自分で考えれない・決めれない状態」は、
そういう所から生まれる可能性が高いんだ。
孤独にはなじんでるから来年は愛すまでいかないとな。笑