「いつも冷静に」
最近、夏目漱石著・「吾輩は猫である」と
橘玲著・「80's」を読んだ。
俺はよく、自分と社会全体を冷静に客観的に観ることが大事だと書いている。
それができれば、自分の攻めるタイミング、守るタイミングがわかるからだ。
客観的に観れないと、守りを固めないといけない場面で勝負に出て負けて致命傷を喰らってしまう。
致命傷を喰らったら戦いに挑むことすらできないんだから、当然勝つことはできない。
致命傷を喰らわないように守りつつ、ここぞというときに一気に勝負に出れれば俺みたいな凡人でも結果を出せる可能性はあるんだ。
だから、どれだけ客観的に観れるかが大事なんだ。
橘玲さんの「80's」を読んでもそんなことを感じた。
この本は著者の回想録的自伝で、著者の学生時代から出版社時代の話が書いてある。
多くの人が出てくるんだけど、中でも短期的には上手くいったけど転落してそのまま堕ち続けてしまった人が何人か出てきて気になった。
そして、なぜ近くにそういう人がいたにもかかわらず、著者は流されなかったのかと疑問が出た。
堕ちてしまった人と、地に足つけて着実に力を付けていった感じがする著者のモノの見方や考え方の違いは何なのか?
俺はやっぱり物事を冷静にみれているかだと思っている。
もちろん、学生時代に「罪と罰」を面白いと思いながら読めたり、23歳でジャイアント馬場についての原稿をあの内容で書けるくらいだから、もともと読み解く才能はあるけどね。
それでも、バブル全盛の時代に浮足立たないで自分のやるべきことをしっかりこなしていたから着実に前に進めたんだと思う。
じゃあ、冷静に客観的に物事を観るってどういうことなのか?
それは「吾輩は猫である」を読めば何となくわかるだろう。
あまりにも有名な冒頭は知っていたけど、内容は全然知らなかったから今更だけど始めて読んでみた。
読むまでは、上・下があるほどの長編小説とさえ知らなかった。笑
読んでみると、猫視点で語られる物語は思っていた以上に面白くユーモアに溢れていた。
人間の生活や言動を人間以外の動物がみるとこんな感じに思っているんじゃないかなと思ってしまう。
でも、これくらい客観的に自分を他人を社会全体を観るべきだ。
そこには容赦なんていらない。
むしろ、容赦をしていたら主観的に観てしまう。
長所短所を厳しく容赦なく見つめられないと客観的に観るなんて出来ない。
それを、猫視点に立って書いた夏目漱石はマジでスゴイんだけどね。
最近は、冷静に観れないとめちゃくちゃになるんだと恐怖すら感じているからSNSの使い方も気をつけている。
俺みたいな読解力がないバカは、特にTwitterなんて見ないほうがいいとすら思っている。
色んな情報、そして色んな感情が蔓延しているからね。
タイムリーな出来事で、見城さんがスゴイことになっているけど見城さんクラスの人ですらTwitterの使い方を間違えるとあんな風になっちゃうんだよ。
Twitterなんて眺める時間があるんだったら文豪作品とか歴史や経済の本を読んで感性と客観的に観れる力を磨いたほうが良いよ。マジで。