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「コミュニケーションとは。」


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いかに「生産=消費」の形をつくれるか?


目指すべきこれからの生き方であるプロシューマーとは何か知りたかったら読んでみて!


では、本題。

平田オリザ著・「わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か」を読んだ。

劇作家として活躍する著者が書いたこの本は、


求められているコミュニケーション能力とはそもそも何なのか?


本当に今、コミュニケーション能力が無い人が増えているのか?


何が一体問題なのか?

を教えてくれる一冊。



著者は、日本社会全体が「異文化理解能力」と日本型の「同調圧力」のダブルバインド(二つの矛盾した指令)に陥っているという。


異文化理解能力とは、グローバル・コミュニケーション・スキルとも言われるもので、具体的には、

・異なる文化、異なる価値観を持った人に対しても、きちんと自分の主張を伝えることができる。
・文化的な背景の違う人の意見も、その背景(コンテクスト)を理解し、時間をかけて説得・納得し、妥協点を見いだすことができる。
・グローバルな経済環境でも、存分に力を発揮できる。


このような能力のこと。


おそらくコミュニケーション能力と言えば、ほぼこの異文化理解能力のことを指している。


ただ日本社会はそこに加えて独特の「同調圧力」を期待し求めてしまっている。

たとえば、

「上司の意図を察して機敏に行動する」
「会議の空気を読んで反対意見は言わない」
「輪を乱さない」

のように。


このダブルバインドが原因でコミュニケーションとは何なのかに迷い・悩み内向きになり、結果的にコミュニケーションに対する意欲が低下しているんだ。

そう、問題はコミュニケーション能力の低下ではない。

というか能力は低下していなく、問題はこの意欲の低下なんだ。



今はコミュニケーション教育が取り入れられているらしいけど、これが苦手だからといって人格に問題があるわけじゃない。

だって「理科が苦手」「音楽が苦手」だからといって人格に問題があるとは思わないでしょ。

それと同じことなんだ。

つまりコミュニケーション能力が求められているからと言ってペラペラと喋れるようになる必要はなく、

きちんと自己紹介ができる。必要に応じて大きい声が出せる。

「その程度」のもので充分だということ。



ただ意識しないといけないのは、

ほぼ同じ価値観・生活習慣を持ち、阿吽の呼吸で「察し合う」シマ国・ムラ社会の日本は少数派だということ。



圧倒的に多数派なのは、

異なる宗教や価値観が常に隣りあわせているために、きちんと言葉で説明しないと無能や怪しいと思われる「説明しあう」陸続きの欧米欧州の方なんだ。

もちろんどっちが優れているとかは無いけど、多数派の理屈を学んでおいても損はないし、これからの時代を考えたら学ぶべき。



もはやモノだけでは満足できなくなった現代、これからもっと価値観は多様化しライフスタイルはバラバラになる。

そうなると、最初からわかりあえることの方が難しくなってくる。

著者は、

「みんなちがってみんなたいへん」


な世の中になるという。


でも、そこから逃げないことだ。


「最初からはわかりあえない」と前提を置き、わかりあえないもの同士がどうにか共有できるものを見つけて広げていくことが大切なんだ。


人間にはそれができる。

なぜなら親の顔・仕事の顔といったように、一人の人間が社会的役割を演じ分けられるからだ。


演じられるのは人間だけなんだ。



ざっくり書いたけど、

多数派も学ぼう、でも「その程度で良い」ことを忘れずに。


最初からわかりあえなくても、共有できものを見つけて大切にしよう。


人間は演じられる生き物なんだから大丈夫。

ってことだ。


内容が豊富で上手くまとめられなかったけど、

コミュニケーションについて知りたかったら読んでみて!


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