『『ニコマコス倫理学』の道案内』 アリストテレスの食し方
井川夕慈のKindle電子書籍『『ニコマコス倫理学』の道案内』より一部を抜粋して紹介します。
はじめに
本書は拙著『プラトン『国家』の道案内』の姉妹編にあたる。
『プラトン~』を出したときには、哲学関係の本であるし、しかもどこの馬の骨とも知れない著者の書いたものなど、誰にも興味を持たれないだろうと思っていた。
ところが、販売実績を見ていると、思いのほか読んでくださる〝同志〟がいる。
そこで二冊目を出すことにした。
今回取り上げるのは、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』である。
なぜか。
社会学者の宮台真司が、折に触れて言及するからである。
(中略)
筆者には、大学の授業(おそらくは「倫理学概論」)で『ニコマコス倫理学』を読んだ記憶がある。
その授業に関して覚えているのは二つだけ。
一つは、強烈につまらなかった、ということ。
もう一つは、アリストテレスも「中庸」を唱えていた、ということ。
<中庸? 中庸は儒教、中国の思想ではなかったのか?>
<何事もほどほどが「吉」である。そんな陳腐な発想のどこが偉大なのか?>
捨てたかもしれないな、と思いながら書籍を保管してある段ボール箱を漁ってみたところ、当時授業で使用していた岩波文庫の上下巻二冊が出てきた。
二〇年ぶりの再会。
自分にとってあれほどつまらなかったこの本を、氏が何度も取りあげるのはなぜだろう?
本当につまらない内容なのか、あるいは読み方によっては得るべきものが含まれているのか、もう一度だけ読んで確かめてみよう――そう思って手に取った。
(中略)
上下巻を読み通すのに四日間を費やした。
その感想は、
<かなり面白いと感じた部分があった一方で、やはりつまらないと思う部分もあった>
である。
つまらないと感じた当時の記憶は、あながちハズレでもなかった。
とても付きあってはいられないな、という部分はあった。
けれど一方で、当時はまったく気がつかなかった面白さを発見した。
同書は少なくとも、〝つまみ食い〟する価値は十分にあると言える。
大学の講義がつまらなかったこともあり、これまで筆者の中でアリストテレスは〝つまらない人〟に分類されていて、どちらかと言えばプラトンの方に親しみを覚えていたのだが、今回『ニコマコス倫理学』を読み直してみて、<アリストテレスもなかなか面白いではないか>と心変わりしてしまった。
(中略)
〝アリストテレスの食し方〟心得
作品の内容に入る前に、筆者なりの〝アリストテレスの食し方〟の極意を示しておこう。
それは、
というものだ。
裏返せば、全部を均等に味わおうと〝しない〟方がよい。
それは、しんどい。
したがって本書は、作品に書かれている内容をくまなく辿るというよりは、旅行会社のツアーコンダクターのように、名所だけをピックアップして効率よく廻るような趣きとなるだろう。
(続きはKindleでお楽しみください。)
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