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西東三鬼の写生

枯蓮のうごく時みてみなうごく

西東三鬼『夜の桃』昭和23

「この句については秋元不死男の言を引こう。「戦後まもなく、三鬼と一緒に薬師寺に行ったことがあるんです。そのとき三鬼がつくづくいうのは、写生はウンとやらなくちゃだめだ。“オレはいま、もっぱら写生、コレ写生で勉強してるんだ”と。三鬼の俳句出発は『ホトトギス』派の人たちとは違いますよ。薬師寺の庭に池があって、そこに無数の枯蓮が亡霊のように立っているのを見て、“俳句を作ろう”というんですよ。二時間も枯蓮を黙って見ているのですね。そんな三鬼なんて、私は見たことがない。そのときできたのが、“枯蓮のうごく時みてみなうごく”でした」

(追悼座談会『俳句』三七年五月号)

『ホトトギス』派の人たちとは違う三鬼の写生する姿は、写生というより、凝視であり、凝視である以上に瞑想、そして結局は想像なのだと思える。まず蓮を見つめることで夢が成立し、そこから写生が生まれる。枯蓮がなにか枯れたものどもの比喩で、それがみなおなじように動くというのも自戒のような比喩にはちがないが、それ以上にこのイメージは三鬼の想像力が腕をのばす社会性と俳句の「写生」なるものとの交点をよく照らすように思える。だからこの「枯蓮」の隠喩は、なにかを喩えるよりも、そこに現前する池の蓮の風景のなかにはらまれた意匠を喚起するのである。

暗く暑く大群集と花火待つ

という句もある。三鬼が見つめているものが「群集の孤独」だと言ってしまっては、イメージが枯れてしまう。そうではなく、ここには根源的な生の、群れることと単独であることの対立と融和の矛盾がイメージ化されているのだ。そしてそこにまつわる情動は、すくなくとも陽性のものではない。どこかに滑稽なほどの悲しみが纏綿するのは、三鬼におどけの表情があるからだ。

火のなかのべんがら色の三鬼の忌

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