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季語のこと

なぜ無季俳句が困難なのか、というと、俳句という短い詩型に楔を打っているのが季語だからである。いま環境の変動と俳句の世界への拡散が、この問題を先鋭化させている。明治以降。旧暦と新暦のごまかしをひと月のずれという形でなんとかやりすごしてきたのだが、近年の気候変動は、ますます季語を不自然なものにしている。そして当然ながら世界各国が同じ四季を持つわけではないから、海外俳句の隆盛は季語を無化する傾向にあるといえる。だが、翻ってなぜ「季語」が必要なのか、ということを考えると、おそらく日本的な情緒や季節循環といったこととは無関係に、言語空間のなかで浮遊しがちな短詩形の恣意性を、季語がなにかにつなぎとめる、という感覚を俳人たちが持っているからだと思える。このなにかをわたしたちは歳時記だとか江戸期以来の伝統だとかに関係させて、とりあえずは満足している。しかしここは考えなければならない。歳時記には明確なふたつの用途がある。ひとつは過去の俳句を読むための辞書、もうひとつは現在の俳句を作成するための手引き。これが混在している。実際、歳時記を通覧してみればわかるように、農作業に関する事項が非常に多い。農業国家江戸幕藩体制の現実に沿っているのだが、農業人口がすでに数パーセントになってしまった戦後社会で、歳時記が「辞書的」な回顧の風景をもたらすのは当然といえる。それでも戦後しばらくは「農業国家」と言える時期があったとしても、二十一世紀をむかえた現代、これらの「季語」は回顧的なもの以外のなにものでもない。「季節のない町」と歌われたのは、もう半世紀近く前のことだろう。都会には暑さと寒さとコンクリートしかない。そんなことは、どんな俳人もとっくに知っているのだ。それでも季語が生き残っている理由を日本的なものに根拠づけるのは、伝統工芸としての俳句でも目指さないかぎり困難だと思える。

論をもどそう。五七五という十七文字(音)の詩形のなかの五文字か七文字を割いて季語を挿入するという作為は、「切れ」と深く関係している。「切れ」そのものというよりも、「切れ」の意識に関係している。「切れ」の意識は、言葉の秩序に取り残される出来事を言葉で掬い上げようとするところに発生する。いわゆる「写生」は、けっして現実を写すわけではない。むしろ通常は取り残される現実の残余を言葉に写し取ろうとする意識的な作業が、「写生」なのである。「鶏頭の十四五本もありぬべし」という有名な俳句は、「鶏頭」を見ている意識がなければ成立しない。むしろその「写生」は「鶏頭」にあらざるもの、「鶏頭」の不在によって成立している。「ホトトギス」で微細化していく「写生」は、先鋭化すればするほどその自意識的な表現にいたるのは当然の道程なのである。この先鋭化する自意識的な表現を季語は引き止める働きをする。言葉が言いあらわそうとするものの不在によって働く表現を、季語はいわば満ち足りた季感のなかに係留しようとするのだ(いわば季語はタナトスなのだ)。しかし一方で「切れ」の意識は、むしろその不在の空隙を求める。なぜなら「鶏頭」の不在がなければ俳句を成立させている自意識もないからだ。この緊張関係のなかで現代俳句は危うい均衡を保っているといえる。

結論的にいえば、無季俳句がとても困難なのは、短詩形のこの緊張関係を無化してしまう場合があるからである。いわばのんべんだらりとした、顔のない俳句になりがちだからである。

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