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「鏡騒」は「かがみざい」と読む

八田木枯句集「鏡騒」における「鏡騒」を読む

しずかに五感を研ぎ澄ますとき、死の足音が聞こえてくる。「鏡騒」とは、生と死のあわいの岸に波立つ「潮騒」。

黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒

八田木枯句集「鏡騒」より

黒揚羽が鏡にとまる姿をイメージしてみよう。蝶はせわしなく羽ばたく。鱗粉の香り。そのざわざわとした感触が鏡の上をすぎてゆくとき、鏡面に写っているのはもう一匹の黒揚羽。飛びたてば鏡の中の蝶も遠ざかってゆく。その蝶の姿を追いかける。

碧揚羽今生の刻つかひきる
塵ほどの塵にはならず揚羽の死
瑠璃揚羽不在の我を訪ねきし
揚羽蝶いま死して地に嵩張りぬ
剃刀にふれし揚羽は熱からむ

同上

蝶たちは生死の際に存在している。今生の刻をつかひきり、塵にはならぬ塵ほどの死を死に、留守をたずねる客となっては、地に嵩張る死を死ぬ。剃刀は「鏡騒」のするどい切っ先を熱くする。剃刀と熱き死。

句集「鏡騒」には、一般の句集に見かける以上に「死」が目立つ。章の「どんみり」には三句、「鏡騒」には十一句、「閻浮の身」には七句。代表的なものをあげれば、

手ざはりのぶあつき歌留多父の死後(「どんみり」)
金魚死にその日のうちに捨てられし
父の死後水鶏叩くにまかせたり
金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ(以上「鏡騒」)
死ね死ねと言はんばかりにもみぢしぬ
死があつてこその生なり酢蓮根(以上「閻浮の身」)

同上

父は死に、動物も植物も死ぬ。「死あつてこその生」というのは、ひとつの知恵ではあろうが、それは酢蓮根ほどの知恵。あるいは食卓に生死もまた紛れているということだろうか。「死」への執着という意味でさらに「忌」の句が目立つ。ざっとあげれば、

法然忌・百閒忌(どんみり)
荷風忌三句・桜桃忌三句・河童忌・原爆忌三句・世阿弥忌二句(鏡騒)
遊行忌・幸彦忌・夢窓忌二句・西鶴忌二句・近松忌・空也忌(閻浮の身)

同上

そして、この名指された「忌」のなかにはない一句がある。誰の忌でもない誰かの「忌」。

誰の忌ぞ雪の匂ひがしてならぬ

同上

しずかに五感を研ぎ澄ますとき、音もなく降る雪のなかにほのかな匂いがあり、その水のような、雨のような、また白い色そのもののような匂いは「忌」の匂いとなる。雪を嗅ぐという行為が自らの忌日を近づける。誰の忌なのか。鏡のなかからその「忌」を眺めている視線、死者の視線が問いかける。ざわざわとしたその「鏡騒」の下から向けられるまなざし。「忌」とは、考えれば生と死のあわいに存在する日なのだ。その日以前には生きていた者がその日以後には死んでいるのだから。逆にいうと、不思議なことだが、「忌日」というのは、毎年毎年やってくることで、生と死をつねに反転させる機能を持たされていることになる。すでに死んだ者の死がその日に思い起こされる。その日以前には生きていた、と。だが忌日がたとえ永遠に毎年繰り返されたとしても、死んだ者は、その日以前に生きていたはずはないのだ。この奇妙な反転、あるいは二重化は、鏡の不思議のひとつといっていい。だから、それは、やはり死の鏡と考えざるをえない。死と生がまるで左右を反転して写す鏡のようにその日を境に対峙する。

さらに、この鏡にはもうひとつのイメージが重ね合わせられる。

「鏡からはじめる詩人は、もし彼が完全な詩的経験を与えようと望むなら泉の水にまで到達しなければならない」

バシュラール『水と夢』

水は鏡と切っても切れない関係にあり、同時にそれはナルシスとともに死に隣接している。さらに「水のなかの死は死者にとって最も母性的なそれであろう」(同)。わたしたちにとって、水と鏡と死が、ひじょうに深い連携のなかにあることが確認されれば十分である。まず鏡の句をあげよう。

黒薔薇は鏡のなかに悶えゐし
あやめ咲ききつて古鏡となりにけり
鏡面にあやめならひが吹き當る
ろくぐわつはうたかたの月捨て鏡
暑に耐ふる古鏡を磨くごとくにも

八田木枯句集「鏡騒」より

鏡のなかの「黒薔薇」、鏡となる「あやめ」、鏡面を吹く「あやめならひ」という風、六月の捨て鏡、暑き日の古鏡……。一連のイメージは、花と鏡の共存にあり、夏の鏡の準備をしている。これらは遠く遠く水を喚起して引き寄せる。花と水も、夏の日の水。次にその水の句。

水に散る紙こそよけれ芒種の日
水のべてゆふぐれひろき夏は来ぬ
白桃は仄聞のごと水に浮く
目つむれば我は水なり籠まくら
打水のうへをわたりて和紙を買ふ
はるかより水をよびこむ白絣
雨あしは水にをどりて盆が来ぬ
佃盆水は夜どおしうごきゐし
水施餓鬼うしろすがたの髪おどろ
流燈の燃えつくすとき水のこゑ
ゆふぐれが水わたりゆく鮓かな

同上

水の動きに注目する。水に散る、水のべて、水に浮く、水をよび、水にをどり、水は夜どおしうごき、水わたり……。「目をつむれば我は水なり籠まくら」。ここにいたって水は死の練習となる。この句だけを独立して読んでしまうと、なにか夏の日のおだやかな一日が思い浮かぶばかりだが、「鏡騒」のなかにおけばこの句が死の準備であることが、しずかに浮かび上がってくる。暑い夏のある日、籠まくらをして目をつむって横たわると、水となる存在がある。水に沈んで水となる存在は、肉体を放棄して魂となる。死のレッスン。だからこその後の「盆」への言及が意味をなす。水施餓鬼、流燈、そして水のこゑ。ここにもうひとつの補助線を引く。魂の不死とともに語られたプラトン「パイドン」における死の練習。

「もしも、魂が純粋な姿で肉体から離れたとしよう。その場合、魂は肉体的な要素を少しも引きずっていない。なぜなら、魂は、その生涯においてすすんで肉体と交わることがなく、むしろ、肉体を避け、自分自身へと集中していたからである。このことを魂はいつも練習していたのである。そして、この練習こそは正しく哲学することに他ならず、それは、また、真実に平然と死ぬことを練習することに他ならないのだ。それとも、これは死の練習ではないかね」

プラトン「パイドン」岩田靖夫訳・岩波文庫

プラトンのソクラテスにとって「哲学すること」が「死の練習」であったように、この俳人にとって「水になる」ことが「死の練習」なのである。この違いは考えることとイメージの違いといってもいい。イメージで考えることが発句の生命だからだ。それは教訓でもなければことわざでもなく、人生や境涯にたいする感想でもなく、場合によっては諧謔ですらない。それは五七五に放り出され投げ捨てられたイメージを追うことによってしか確認できないもの。たとえばこういうことだ。「古池やかはずとびこむ水の音」というあまりに有名な句があれば、わたしたちにできることはまずはただ水の音を聞くということだけなのだ。その音を聞きイメージをふくらませ、想像してみる。芭蕉が心掛けているイメージは、いつも沈黙の音に彩られている。「閑さや岩にしみいる蝉の声」。これもそうだ。沈黙の音という、現実には不可能な音のイメージこそが、俳句という文芸の生命となる。俳句という言葉の文字づらには本来音も光も味もなにもない。だが、その音を聞くこと、それが最初の体験であって、解釈はずっとずっとあとにやってくる。同じように、「死の練習」という言葉は、水となって浮かぶ存在のイメージを先達として、ずっとあとにやってくる。溺死のイメージがまた思い浮かぶ。目を閉じて眠るということは、ひょっとすると「死の練習」ではないのか……。

「それとも、これは死の練習ではないかね」

こうして水=鏡のイメージは死を内包し、死を準備する。この水=鏡に沈む者は、死を体験する不死の者だ。なぜなら、体験者は死につつあるとしても、まだ死んではいない。鏡はこうして死と不死(いわば生)を契機として水面を喚起してやまない。水底からの視線。水=鏡というイメージ。鏡は水に満ちて死につつある。死と不死とのこの連携を「水施餓鬼」が受ける。

水施餓鬼うしろすがたの髪おどろ
流燈の燃えつくすとき水のこゑ

八田木枯句集「鏡騒」より

そのとき「髪おどろ」なる後ろ姿や水の声は、どこに存在するのだろうか。現世であれ冥界であれ、その姿や声は「鏡」を通して感じとられ「鏡」に写るにちがいない。当然ながら、ここに「盂蘭盆会」のいくつかの句がさらに重なる。

雨あしは水にをどりて盆が来ぬ
ふれあひて鳥とぶことも盆会なる
鳥しろく盆のあはれを尽しける

同上

水と同時に、「鳥」=飛翔が喚起されている。「鳥」は魂であり、おそらく「蝶」の化身でもあるだろう。「鏡騒」には最初から「蝶」によって飛翔が暗示されていた。ここまできてようやくにして冒頭にあげた「黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒」という句の中七の意味が理解されてくる。「ゆき過ぎ」るということは、どういうことか。鏡にとまっていた蝶が飛ぶというそれだけのことなのか。それは生きるということではないのか。鏡の反転機能を考えれば、同時にそれは死ぬということも含意するのではないか。黒揚羽が生と死の両側に存在するからこそ「鏡騒」のざわざわとした音が響くのだ。『正法眼蔵』の道元はこの生と死についてつぎのように語っている。

「生も一時のくらゐなり。死も一時のくらゐなり。たとへば冬と春とのごとし。冬となるとおもわず、春の夏になるといはぬなり」

道元「正法眼蔵」

わたしたちは平安期以降の勅撰和歌集が、冬の名残をとどめた春から始まり、季節の句切りを季節同士のあわいのなかの変化としてたどってきたことを知っている。それと同じように、ここで道元は、季節の変化というものが春が夏になるのではないように、生が死になるのではない、と主張しているのだ。つまり、生は生のままに死になる。死もまた死のままに生である。「鏡騒」の死生観は、この主張とおなじように機能している。鏡のなかの黒揚羽は、生であり死である。鏡に映る一方は生を死に、もう一方は死を生きる。この観念はとても俳句的だといっていい。なぜならそれは俳句の「切れ」のように、一瞬の間と切断による繋がりにかかわるからだ。「切れ」は、たとえば上五が中七下五をたとえるがゆえに「切れ」るというわけではない。それはむしろ「切れ」という鏡によって両者を相互浸透させる。

黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒

八田木枯句集「鏡騒」より

もういちど最初の句に戻ってみる。この句は普通に読めば「黒揚羽」が「ゆき過ぎしかば」と読める。だがこの「ゆき過ぎしかば」の主語が黒揚羽であるとはかぎらない。では、だれ、あるいは何か。まず考えられるのは俳句の作者だろうが、一般に「ひと」と読んでおくのも一案ではある。いずれにせよ俳句のこの性質は多義性というよりも、曖昧さそのものである。したがってある人はこう読み別の人はこう解釈するというような、任意の仕方で読んで解決するというものではない。これは解釈の多義性を誘うというよりも「切れ」がもたらす対照作用とでも呼ぶべきもので、一種のコレスポンダンスなのだ。黒揚羽と鏡騒が照合しあい、また「ゆき過ぎ」ることにおいて、作者と黒揚羽が照合しあう。こうしてわたしたちは曖昧さの多面体のなかに、鏡、水、死、蝶といったイメージの断片を再構築することに誘われる。俳句は一句それ自体で成り立ちつつ同時に成り立たないのである。いくつもの寄木細工であるためには、一句が独立していなければならないし、独立しているためには、句の集まりの一部でなければならない。

さて、「鏡騒」の死生観に話を戻そう。正岡子規は「病牀六尺」でおもしろいことを書いている。

「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合でも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」

正岡子規「病牀六尺」二十一

まさに病牀における子規の悟り。生命の本然。ほおっておけば「苦」のなかでも生きる。生きるしかない。死はそのとき生のなかにある。そんな死を平気で生きることができるのか。
もういちどしずかに耳を澄ませてみよう。

黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒

八田木枯句集「鏡騒」より

しずかに五感を研ぎ澄ますとき、発句は言葉を感覚にかえし、言葉が意味することを忘れさせる。「鏡騒」という造語にはらまれているのは、そういう非=意味とでもいうべきもの、死を生きる、というでもいうべきことだ。

ぼうたんの花のゆるるはきはどけれ
白桃は仄聞のごと水に浮く
金魚死に幾日か過ぎさらに過ぎ

同上

古典和歌のなかに「蝶」の歌は意外なほどすくない。蝶は千年前にも野原を飛んでいたであろうに。僧正遍昭の歌。

散りぬればのちは芥になる花を思ひ知らずもまどふ蝶(てふ)かな

古今和歌集・物名四三五



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