君に会うため、60年を超える。『ある日どこかで』【映画紹介】
SFと恋愛の掛け合わせはある種の定番になりつつあります。
とりわけ恋愛がテーマになっているSFで多いのは時間モノ。
ループに閉じ込められる『恋はデ・ジャヴ』、1920年代のパリに飛ぶ『ミッドナイト・イン・パリ』など、映画でもこの掛け合わせは多し。
日本SFでいえば『時をかける少女』なんかも恋愛と時間の組み合わせですね。
定番の時間恋愛モノにも、カルト映画と呼ばれているものがあります。
知っている人は知っている、そんな時間跳躍ラブロマンス。
『ある日どこかで』の紹介です。
※内容を紹介していますが、本編全体の大きなネタバレはありません。
この映画では1980年から1912年への移動が発生します。
68年の時間跳躍。幻想的な20世紀前半へのタイムリープです。
使うのはタイムマシン? それともタイムホール?
いいえ、どちらも違います。
移動方法もこの映画の特徴といえるでしょう。
あらすじ
1972年。主人公リチャードの元に老婦人が現れ、「帰ってきて」と彼に囁きます。
面識はないので「誰?」となりますが、そこからさらに8年。
休養先のホテルにてある女性の写真を発見します。
この女性にリチャードは一目惚れしてしまい、調査をしていきます。
名はエリーズ。ホテルの劇場でかつて公演をしたことのある女優とのこと。
そして調査を重ねるうちに、彼女が公演した1912年にリチャード自身も存在していたことが明らかになってきます。
彼女に会いたい一心で、リチャードは時間跳躍の方法を編み出そうとしていくのですが……。
と、展開自体はシンプルな流れ。
さて、それではどうやって時間跳躍を行うのか。
そのメソッドを味わうためには、まず「時間は一方向的に流れているものではない」という理屈を頭に入れておく必要があります。
過去があって現在があり、そして未来がある。
一度過ぎた時間には逆らえない――わけではないんです。
時間は絶対的ではないので、物質ではない人間の意識であれば過去に存在させることが可能。
そうしたロジックで、この映画では催眠術によって時間跳躍を行います。
(自分も完璧に理屈を理解しているわけではないので、わかりにくかったら説明が悪いです。申し訳ない)
しかし、やはりこの時間跳躍がこの映画の独自性。
SFらしいガジェットを登場させないことは、映画全体の雰囲気作りにも影響を与えています。
まず、美術が本当に良い。
20世紀前半の甘美なアメリカの雰囲気が、余すことなく画面に反映されています。
建築、馬車、ドレス。現代から1912年に飛んだ際の感動はこの映画の強みといえるでしょう。
そうして一貫された美術は映画のストーリーも強固にしていきます。
時を渡って何も知らないヒロインに会いに来た彼。
「そこまでしてこの時代に来たかったのか?」という疑問には、「イエス」と映画側が力強く答えてくれます。
ただ、この映画が万人が認めた名作映画ではなく、知る人ぞ知るカルト映画になるのも納得できる理由があります。
この映画、若い時代のヒロインが登場するのに40分ほどを要します。
時間跳躍について作り込むため、ラブロマンスの要を遅らせているんです。
実際画面として面白いところも少なく、娯楽としては退屈かもしれません。
逆にいえば、恋愛映画が持つべき甘美な雰囲気のすべてを纏っています。
60年を跳躍する大恋愛。それをノイズなく、愛というものが内包している執念に似た感情を描くために、徹底して舞台設定をしているのです。
じっくりと焦げるような恋愛を眺める。
出会ってデートし、親と衝突し、そして運命づけられた別れを迎える。
この映画でしか味わえない恋を味わう映画だと、自分はそう思います。
気になったら是非ご視聴を。
ではまた。
『ある日どこかで』はAmazonPrimeでレンタルできます!