愛しき父は、偉い詩人らしい。『父・萩原朔太郎』【本の紹介】
noteのアカウントを作ったので、読んだ本を紹介していこうと思います。
前から「やりたいな~」とは思っていたものの、定石がわからず放置していました。が、自分なりにやってみることにします。
今回紹介するのは萩原葉子『父・萩原朔太郎』です。
萩原朔太郎について、みなさまはどの程度知っていらっしゃるでしょうか。
大正時代から戦前(戦争開始直後?)にかけて活動した、「日本近代詩の父」とも呼ばれる詩人です。
「詩はただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。」
こちらは『月に吠える』の序文にある一文ですね。序文だけでも胸を削られるので、興味があれば読んでみることをオススメします。
病める魂——自身の感情を言語化して打ち出す朔太郎の詩は、心に染みこんでいくような青い悲しみが一貫している……と、自分は感じます。
では、そんな朔太郎にも娘がいたことは知っていましたか?
それがこの本の著者、萩原葉子です。
朔太郎が34歳のときに生まれた長女で、のちに妹も生まれてきます。
2005年に亡くなるまで作家活動をしており文壇で活躍していたとのことなので、自分より上の世代の方はよく知っているかもしれません。自分はこの本を手に取るまでまったく知りませんでしたが……。
『父・萩原朔太郎』は娘・萩原葉子の視点から綴られたエッセイ集。
家庭内での朔太郎やその母、作家仲間にも言及しており、朔太郎の生きた時代や作家同士の関係性を覗き見できる一冊です。
突然ですが、家の朔太郎ってどんな感じだと思います?
情緒を捉えて情景に起こす天才詩人が家でどう振る舞っているか。
硬い表情をしてずっと考え事をして、誰も寄せつけない。
そんな想像をね、自分もしていたんですよ。
違うんです。
何かを考え続けているというのはそうなんですが、思ったよりも「隙」が多いんです。
萩原朔太郎、めちゃくちゃ汚します。
「えっ!?」っとなりました。「この人が『地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ』って書いたの!?」と。(時期は全然違うと思いますが)
これには同居している母親(葉子の祖母)もおかんむり。
ですが、葉子はこう続けます。
慕いすぎるでもない、素朴な情愛。
それがこのエッセイには散りばめられています。
葉子の文体は上手ってわけではないんですけど、すごく優しいんですよね。
日々を切り取って自分の世界観に包み込んでいるような印象を受けました。
基本的に、この本で書かれる萩原朔太郎に「大詩人」の面影はありません。
日常のある一面から覗き込んだ弱々しい表情が、ずっと描かれます。
読めば読むほど、萩原朔太郎を包んでいた神秘性が崩れていきます。
結局はただの人間なのであり、故に「世の不合理と衝突して生きている」という姿が見えてきます。
この本で起こる事件の一つに、朔太郎と妻・稲子の離婚があります。
どちらかというと稲子の一方的に家を出るのですが、この別離の描写がすさまじい。
萩原家は家を引っ越すことになり、朔太郎の父の家へ向かいます。しかし、稲子はなぜか着いていこうとしません。稲子は「髪を切ったから、お祖父さんが家の敷居を跨がせない」のだと説明しますが、やはり不可解です。
エッセイでの描写を見る限り、朔太郎は不器用な人だと思うんですよ。
その人が自分の子に離婚を悟らせないよう、黙って動く。それは稲子も同じで、傷つけなくていい人を傷つけないようにしている。
ちなみに葉子が稲子と再会するエピソードもありますが、そちらは実際に読んでお楽しみください。
実のところ、自分は朔太郎の詩ってよくわかんないなと思ってたんです。
表現や音韻は綺麗だけど少し自分とは縁遠いというか。
多幸感にあふれる詩じゃないからこそ共感できる部分はあるんですが。
一冊読んで、完全に掴み切れたわけではないです。
それでもちょっとだけ、自分と朔太郎との距離が縮まったような感じがしています。
必ずしも幸せではない毎日で、自分の底に流れる何かを拾う。
そういう手法で詩は生まれるのかもしれません。
ただまぁ、朔太郎が周囲の作家たちから慕われていたのもまた事実。
詩人・三好達治とのエピソードを最後に紹介します。
いやー、いいですね!!
そうですよ!!萩原朔太郎は偉い人なんですよ!!
ここ読んでいるとき嬉しくてニヤついちゃいましたからね!!
気になったら是非ともご一読を。
ではまた。