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躁うつ病時代を生き抜く創作術17 -上手くなりたい、評価されたいという"我執”を手放す。

創作活動に励む多くの人は、「上手くなりたい」「評価されたい」という欲求を抱えながら日々表現と向き合っています。作品の完成度を高め、他者から認められたいという思いは、創作へのモチベーションを生み出す原動力となるでしょう。
しかし、僕のように躁うつ病を抱える人の中には、その欲求が行き過ぎて苦しみに変わってしまうケースも少なくありません。

完璧主義は、陥りやすい罠の一つです。自分の作品に対して過度に高い基準を設定し、少しでも理想と違えばダメだと思い込んでしまう。
そんな完璧主義に囚われると、創作は苦しみに満ちた作業と化してしまいます。
また、承認欲求が強すぎると、他者からの評価ばかりを気にするようになり、自分の内なる声に耳を傾けられなくなってしまいます。

でも、僕には痛いほど気持ちがわかります。
僕も自分では自覚していないものの人から「完璧主義だね」と指摘されたこともあります。その時は本当に驚きました。僕はどちらかというと、いい加減な人間で、「完璧でありたい」「完璧なものを作りたい」とは考えたこともなかったからです。
少なくともそう自覚していました。

創作とは本来、自己表現の喜びを味わうためのものです。しかし、「上手くなりたい」「評価されたい」という欲求に振り回されてしまっては、その本質を見失ってしまうかもしれません。

内面の嵐(うつ状態のこと)と向き合いながら創作を続けるためには、これらの欲求と適度な距離を取ることが大切です。自分の表現をありのまま受け入れ、プロセスを楽しむ余裕を持つこと。そして何より、自分らしさを発揮する喜びを大切にすること。そんなマインドセットを持つことが、創作における不要な苦しみから自由になる第一歩となります。

"我執"って知っていますか?

今回はタイトルに"我執"という言葉を入れてみたんですけど、"我執"という言葉を、みなさんは知っていますか?

仏教の教えの中で、"我執"という概念は重要な位置を占めています。我執とは、簡単に言えば「こだわり」を意味します。人は自分という存在に強く執着し"自分"を中心に物事を考える傾向があります。仏教ではこの自我へのこだわりが、苦しみの根本的な原因だと説かれているのです。

我執は、自分の存在を固定的で不変なものだと思い込むことから生まれます。しかし実際には、人間の存在は刻一刻と変化し続けており、永遠不変の"自分"などは存在しません。つまりは諸行無常なのです。平家物語の冒頭で出てきますよね。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」っていう有名な一文、国語の授業で習いましたよね。あれです。

私たちは自分という存在にしがみつこうとします。そこから、自我を守ろうとする執着心が生まれ、様々な苦しみが生じるのです。煩悩ですね。

創作活動においても、我執の影響は顕著に現れます。
「これは私の作品だ」「私はこんなに優れた表現ができる」といった自我へのこだわりは、創作する喜びを奪ってしまうことがあります。非常に難しい問題ですね。
他者との比較や評価への執着は、創作そのものの楽しさを見失わせてしまうのです。

また、完璧を求める気持ちも、我執から生まれる苦しみの一つだと言えるでしょう。自分の作品を理想的なものにしたいという欲求は、創作意欲を高める効果があります。しかし、行き過ぎた完璧主義は、かえって自由な表現を妨げる枷となってしまうのです。

この世は諸行無常です。結局他人の評価も、「完璧でありたい」という自分の主義も、所詮は、移ろいやすい、この世の一つの"事象"にすぎません。

我執から自由になるためには、"自分"という存在の捉え方を根本的に変える必要があります。固定的な自我の幻想から脱却し、移ろいゆく存在としての自分を受け入れること。そして、自我にこだわるのではなく、「今ここ」での表現に没頭すること。
そうした姿勢を持つことが、創作における自由と喜びを手に入れる鍵となるでしょう。

他者との比較から生まれる焦燥感

我執が創作に与える影響は、自己評価の低下や自信喪失にとどまりません。他者との比較から生まれる焦燥感も、創作活動を大きく阻害する要因の一つです。

SNSの普及によって、他者の作品を見る機会は格段に増えました。優れた表現に触れることは刺激になる一方で、「自分はまだまだだ」「あの人には到底及ばない」といった劣等感を抱くことも少なくありません。特に、僕らのような躁うつ病を抱える人は、他者との比較に敏感になりがちです。
自分の作品を客観的に評価できなくなり、焦燥感に苛まれてしまうのです。
その焦燥感の正体は、いったいなんなんでしょう。
僕の嫌というほど経験しました。

しかし、創作において大切なのは、他者との比較ではありません。自分自身の成長と、表現することの喜びに目を向けることこそが重要なのです。他人の評価に一喜一憂するのではなく、自分の内なる声に耳を傾けること。そして、自分なりのペースで創作を続けていくこと。そうした姿勢を持つことが、我執から生まれる焦燥感を乗り越えるための第一歩となるでしょう。

我執から自由になるためには、自分の作品に対する見方を変えていく必要があります。「上手い/下手」「優れている/劣っている」といった二元論的な評価軸から離れ、自分の表現をありのまま受け入れること。そして、創作のプロセスそのものを楽しむ視点を持つこと。こうしたマインドセットの変革が、創作に自由と喜びをもたらしてくれるはずです。

躁うつ病と向き合いながら創作を続けるためには、我執との付き合い方を見直すことが欠かせません。自我にこだわるのではなく、今ここでの表現に没頭すること。そして、自分らしさを大切にしながら、創作の喜びを味わうこと。そんな姿勢を持つことが、躁うつ病を生き抜く創作術の核心だと言えるでしょう。

我執から自由になるためのマインドセット

創作活動において我執から自由になるためには、自分自身と作品に対する見方を根本的に変える必要があります。そのためのマインドセットとして、まず大切なのが「自分の作品をありのまま受け入れる」ことです。

自分の作品を「上手い/下手」「優れている/劣っている」といった二元論的な評価軸で判断するのではなく、その時々の自分の表現をそのまま受け入れること。それは、自分自身を肯定し、表現の自由を手に入れるための第一歩となるでしょう。作品の出来栄えにこだわるのではなく、自分の思いを形にすることそのものに価値を見出すのです。

創作のプロセスを重視する姿勢も欠かせません。完成した作品よりも、表現に向き合う過程そのものを大切にすること。
時には試行錯誤もあるでしょう。
思うような表現ができないこともあるかもしれません。しかし、そうした紆余曲折も含めて、創作のプロセス全体を愛おしむ視点を持つことが重要なのです。

完璧を求めすぎない柔軟な姿勢も必要です。「これ以上の表現はない」と満足するのではなく「今の自分ができる精一杯の表現」に心を込めること。そして、たとえ理想通りの作品に仕上がらなくても、表現すること自体を楽しむ余裕を持つこと。そんな心の在り方が、創作を自由で喜びに満ちたものにしてくれるはずです。

結局、この世のすべては変化していくのです。
だから、うまくできなくても、他人から評価されなくても、気にする必要はないのです。

躁うつ病を抱えながら創作に向き合うためには、こうしたマインドセットを日々意識することが大切です。

何よりも、創作に向き合う時間を「一日で最も"ピュアな時間"にする」ことが重要なのです。

自分の作品も、創作のプロセスも、ありのままに受け入れること。

そして、表現の喜びを何よりも大切にすること。そんな姿勢を持ち続けることが、我執から自由になるための鍵となるでしょう。そうすれば、苦しみから解放され、自由な創作の世界が広がっていきます。


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