身体=秘境
眼球の中には硝子体と言う透明なゼリーのような物質で満たされているという。それまでずっと眼球は空洞だと思っていた自分はあまり信じられなかったし、今でもあまり想像ができない。目の前の風景はそのまま光として私に像を認識させているのに、その間に球状に満たされたゼリーがあるらしい。見えていないものを見ようとするのはとても難しい。
多くの人は暗闇を怖がる。光のない世界にいるととても心細いし、そこにないはずのものの存在を感じたり、点が三つ並んでるだけで闇に恐ろしい顔が浮かんでいるように見えて、ついには恐慌に陥ってしまう。だからなるべく暗闇を避け、光に接しようとする。しかし、その恐怖を感じる身体の内側は切り開かれたりしない限りずっと暗闇の中にある。暗闇を感じる脳それ自体も頭蓋骨で守られた闇の中で働いている。自分の内側に関しては心臓や肺や胃腸以外はどのように動いているのか、または止まっているのかは一生わからないだろう。身体の皮膚一枚下は暗闇を抱えているのだ。
一時期虫歯を患っていたことがあって、痛みが激しいときは「この虫歯はかなり重症なやつだ。絶対上あごを抜けて脳まで達してるに違いない。このまま虫歯の穴を通して脳みそが出てくるだろう」と少しナーバスになってしまっていたが、いざ歯医者でレントゲンを撮ってみると実際に穴は1cmにも達していなかった。それを伝えられた時。自分のネガティヴさの拡張さっぷりに情けなさを感じつつ、自分と自分の身体にはなぜこのような隔たりがあるのだろうかと驚きもした。肉薄どころではない近い距離にいるのに、何も見えない遠い場所。自分に寄り添う秘境。
瞑想の技法に「自分の内側の感覚を想像してみる」というものがある。普段感じることのない血液の流れや筋肉の蠢動から、血液の流れやシナプスの発火までを感じ取れるよう想像するというもので、まずはこの集中したりリラックスする自分の肉体とは一体なんなのかということに視線を向け、それを土台とした自分の心を見てみるという集中への準備運動みたいなものだ。
思えば、自分の体は何をせずとも動き続けている。そしてそれはとてもダイナミックなものだ。心臓が一日に送り出す血液の量はドラム缶40本分で。脳の1秒間の活動はスーパーコンピューターの40分に匹敵するという。そんな体から発せられる体温は外気の流れに影響を与え、匂いやフェロモンが拡散されてゆく。そのような運動が少しずつ周りの環境に影響を与えていく。見たことのない皮膚の下が、見たことがないまま周りに影響を与えるのはとても神秘的なダイナミズムだ。