先生から見て「いい印象を受ける生徒」とは、を考えていたら自分の価値観が見えてきた。
今日は大学の授業で、自分が教師の視点に立って「いい印象を受けるのはどんな人か」「逆に悪い印象を受けるのはどんな人か」を言語化して知る機会があった。
すると私の場合こんな要素が浮かび上がった。(「悪い印象を受ける要素」についてはこの逆なので割愛する)
【いい印象を受ける要素】
・積極的である
反応が良かったり、人懐っこかったり
・思いやりがある
面倒見が良かったり、みんなの為に協力したり
・わからないことに向き合おうとする
知らないことでもとりあえずやってみたり、考えることを面倒くさがらなかったり
んー、改めて見ると、なんて優等生。という感想に尽きる。
自分の認知の枠を無自覚に信用して人を判断することの恐ろしさがよくわかる。
実際の生徒をよく観察し、よく言葉を交わすことが重要だ。そして自分の認知の枠から生まれた判断を柔軟に修正していくことが非常に大事だ。
ここで話が変わるのだが、この【要素】について教育から離れて見てみることにした。
すると、この【いい印象を受ける要素】って、
実は「私が大事にしていること」ひいては「私がなりたい姿」なのではないかという考えが浮かんできたのだ。
つまり、
私と同じものを大事にする人=価値観が合う、
という思考回路なわけ。
だから、「自分が大事にしていること」を目の前で実践している人を目の前に見つけた時には、それはそれは感動ものなのである。
この思考回路は私の人生の中で、友だちづくりをする際にとても役立ってきた。この【いい印象を受ける要素】を実践していたり大切に思う人に対して、私の心のアンテナは敏感に反応してきたのだ。
だが、話を教育の方に戻すと、
この思考回路で接していては一部の子にしか光が当たらない。しかもなんと言ったって、この【要素】は私の場合「すてきなお友だち発見用」なのだから、教師の立場で生徒に対して使うのには不適切すぎる。
そういうわけで、今日のまとめ。
生徒に対して何かしら印象を持ってしまうのは人間だから仕方のないことなのだけど、それを教育的評価に繋げてしまうことの無いように気をつけたいと強く思ったのだった。