反戦平和主義の軍事オタク
自分がそうだから、よくその矛盾に苦しむことがある。仕事で反戦平和について語ることもあるし、そういった本も作るし、反戦運動に関わることもある。でも、すごく兵器(特に第二次世界大戦時のものや、戦国時代のもの)に私は心が動かされる、興奮することすらあるのである。戦争映画もよく観る。
でも、本当に、信じてほしいのだが、私は心の底から戦争を憎いと思うし許せないとも思っている。ウクライナで現地を取材したジャーナリストの話も先日直接聞いたが、その悲劇、その地獄、なんの罪もない人間たちが巻き込まれる悲劇、悲しみを思うと、涙が出ることもよくある。
しかし……それとは真逆に、私は萌えてしまうのである。戦争に、兵器に、軍人に。
なぜなのだろうか?
そうでない人からすると、とても理解できないかもしれない。
仕事では、この10年か15年ぐらいは、ずっと自分が軍事オタク的な人間であることは封印してきたが、その前は、そこまで気にしてさえもいなかった。しかし、小さい出版社の社長連中は、かつて反戦平和を掲げて戦った学生運動の闘志が多くて、私も当然のように影響を受けたし、反戦平和関連の本もたくさん読んで、戦争の悲惨さとその罪についても多くを学んだ。それからだんだんと軍事オタク的な趣味から距離を置くようになった。
ただ、そんな反戦平和を唱える左翼(正確に言うと私が関わった人の多くは「新左翼」で、日本共産党などは、左翼の中では旧左翼。共産党を見限った連中が作った新左翼のセクトがたくさんある)も、すごく偽善で自己欺瞞が多々あり、新左翼によっては、目指すことが銃による革命など、武力、力による革命なんで、それは戦争をじさないということで、実際は、左翼なのに反戦平和とはかけ離れていることも多々あるのだ。
戦争は嫌いなはずなのに、実は好きなんじゃないのか? という大きな自己矛盾。反戦平和を掲げながら。
自分でもよく分からないけど、DNAに刻まれた祖先の戦士か何かの記憶、血筋なのか。私の先祖は、戦国時代には武田信玄の家臣で、その最後は、伊那高遠城で、信玄の子供の一人の仁科盛信とともに籠城して、何十倍の織田軍(総大将は信長の息子の信忠)と勝ち目の無い戦を激しく戦い、他の武田家の家臣が次々と織田に寝返って裏切りを繰り返す中、最後まで忠義を貫き、最後は城で討死したといわれている春日河内守昌吉という武将だったらしいけど、戦争や武器に対して異様に萌えるのは、この武将の血かな、とか、勝手に思ってます。
長野県伊那市には、我が先祖の春日河内守昌吉の城、春日城の城址があります。小さな山城で……一日も持たずに落城したとか。おのれ信忠め!
拳銃を見ると萌える、ウォーゲームをやると萌える、戦艦大和を見ると萌える。戦争映画を今もよく観る……。
実は先日、小学校時代からの友人が亡くなったことで、その友人を弔うために、今も長い付き合いが続いている当時からの友人たちと集まって、当時のエアガンやウォーゲームの話をすることで、またあの頃の熱が久しぶりに強く噴き上がってきたのである。
そんな当時からのもう一人の軍事オタクの友人が言った一言「宮崎駿も似たようなことを言ってたね」というので思い出しましたが、そうなんです。宮崎駿も似た傾向があります。宮崎駿は完全に軍事オタクです。その手の画集も出てるほど。でも宮崎駿は強い反戦平和主義の人なんだよね。だから映画の筋書きはどれも基本は反戦平和の思想が貫かれているけど、戦いのシーンもよくあるし、出てくる兵器にも拘りが感じられる。そんな宮崎駿は少年時代、相当なレベルの軍事オタクだった証拠が出てきたとか。今もある軍事雑誌『世界の艦船』に宮崎駿少年が投稿していたという記事が話題になったことがあるそうです(下記参照)。
これ見ると……私なんぞのレベルではないですね。すごい知識量です。
松本零士とかは、ちょっと違って、信条的には反戦平和を唱えることはあっても、父親が戦闘機乗りで、父親が上空で米軍と空戦してるのを見たことがあるとか言ってたぐらいだから、戦士としての父親への想いや憧れがあったみたいだから、宮崎駿とは、ちょっと違うスタンスかも。父親はベテランの戦闘機乗りで腕も良く、飛燕に乗ってたとか。
『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるも、戦争で片手を無くして、地獄のニューギニアで玉砕戦の地獄を見て、戦争の悲惨さんをウンザリするほど身をもって体験してるんだけど、以前、NHKの朝ドラの、水木しげるの生涯を描いた『ゲゲゲの女房』を見てたら、水木しげるが、近所のオモチャ屋で、当時売り出し始めた戦艦もプラモデルを見つけて「お〜‼️」と、めちゃくちゃ萌えて、当時まだ水木しげるは、あんまり漫画家としては売れてなかったから金もないのに、たくさん戦艦のプラモデルを買ってきて、「連合艦隊を作る!」とか妻に宣言して作ってたシーンが驚いてすごく記憶に残ってるけど、これは実話に基づいた話だそうです。水木しげるは戦争漫画を仕事で書いてたけど、たぶん仕事のためだけではなく本当は楽しくて、童心に帰って描いている面はあったと思う。水木しげるの子供の頃のエピソードで、水木しげるの故郷の境港に現れた100隻以上の日本海軍の連合艦隊の大艦隊の勇姿を見た記憶が忘れられない、と話していたことを知って、やはり間違いないと思うようになった。それと海軍の真っ白の美しい軍服。それを着た海軍の軍人さんに水木しげるが気に入られて、養子にしたいと言われたことなども話していた。そういう逸話が水木しげるにはある。
水木しげるは、地獄の戦場を経験しても、連合艦隊の美しさへの萌えは変わらなかった。
ならば私が今でも条件反射レベルで燃えてしまうのは、もう生まれ持ったものなのでしょう。
でも、戦争はいけません。
それは今も変わらず思います。
戦争は、遊びやゲームや、アニメや映画の中だけの世界にとどめておくようにしたいですね。
ウクライナ戦争、シリア内戦、アフリカの内戦、ミャンマーの内戦、世界中の戦争が早く終わる日が来ることを切に願います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?