自分の中に毒親が残っていた
〜できなかったら死のう。
〜できなかったらもう諦めた方がいい、諦めるべきだ。
少し前まで、私はほぼ自動思考のようにこの考え方をしていた。
次のテストで、また悪かったらもう塾辞めさせる。第一志望は変えるべき。
〜をしない子はうちにはいらない。
これらは自分の親に言われていたこと。
存在を否定され続け、心が壊れ、自分を殺しかけた後でようやく親が毒親だと認識し、縁を切り、距離を取った。
これでもう終わったと思っていた。
そんなに簡単に終わるわけがなかった。
少なくともその時点では、人生の大半を共に過ごしてきた人間から押し付けられてきた価値観が、自分の中にも染み付いていた。
条件つきの愛情。
常に何か価値あることをしていなければ、何か社会的に素晴らしいことを達成しなければ、生きている価値がない。
そう思い込んでしまっていた。
私は、なんと言われたかったのか。
いい結果が出たら、結果だけじゃなくて、努力した、ってことを褒めて欲しかった。
失敗しても、信じ続けてほしかった。失敗した時こそ、優しい言葉をかけて欲しかった。失敗した自分も受け入れて欲しかった。
誰にも邪魔されず、静かに自分と向き合えるようになったのに、私は、気づけば毒親と同じ言葉を自分にかけてしまっていた。
ごめん。私。
たくさんたくさん傷つけた。。
しんどかったな。。辛かったな。。
欲しかった言葉をかけよう。
甘やかすわけではない。
甘やかすのと優しいのは違う。傷つけるのと厳しいのは違う。
自分を受け入れることができるからこそ、自分を信じることができるからこそ、前に進めるの。
あなたはよく頑張ってる。毎日毎日よく生きている。
失敗しても、また何度でもやり直せばいいだけ。
1回で成功するより、10回失敗して、また起き上がって、何度も挑戦することの方が難しいよ。それができるあなたは、本当に本当に努力家だし、すごいと思う。
どんな結果になっても、私は私の味方だし、応援してるし、信じてる。
頑張ってても、頑張れなくても、結果が出ても出なくても、私は私で、私の価値は、外的要素で決まるわけじゃない。
何者かになろうとしてなくていい。
私は、すでに、たった一人の、他の誰でもない私だ。
誰も、私にはなれない。
この人生は、私にしか、生きられない、私のための、私だけの人生だ。
何をしても、私の自由だ。
ただ、私らしく、生きればいい。
いつでもここに戻っておいで。
自分を見失ったり、ひどく傷ついたり、落ち込んだり、、すごく嬉しいことがあった時でもいい。
ここは、いつでも帰ってこれる、安心できるあなたのための場所だから。