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演劇教育ワークショップに参加してみて分かったこと。
ここ最近、演劇教育フォーラムとワークショップに参加して気づいたこと。演劇教育って何なの?って流派とか考え方とかいろいろあるらしいけど、参加してみて私なりに感じたこと。それは相手と私のやりとりに、ありのままの自分でいられることの心地よさと、だれかと私がそこにいて、つながれることの喜びがあるってことだなと思い至りました。
そもそも、なぜ演劇教育(表現教育)がいいなぁと思ったかというと、市民ミュージカル劇団の演技レッスンであまりにも気分が爽快だったからである。なにこれ、表現するってなんて楽しいんだろうと思ったことと、ブレイディみかこさんの本を読んで、ほかの国ではドラマ教育が標準的に行われていると知ったから。
不登校の子に多いのが、周りからどう思われているのかに囚われてしまって不安で動けなくなってしまうこと。誰も、気にしてないのに、目が合った瞬間に髪を全部おろして髪のカーテンをつくって外の世界をシャットアウトしてご飯を食べる子。離れたところで話している友だちをみて、自分は悪口を言われていると家でむせび泣く子。これを言ったら恥ずかしいと、意見を言えない子。いろんな子をたくさんの子を見ているんだけど、どうしたらいいかなぁってずっと思っていたんですよね。
自分自身もそういうところがないわけじゃない。緊張しすぎるのってつまり、他人を気にしすぎてよく見せたいからだと思うから。自分の体から全方位で外に向けて矢印が出ている感じ。
で、演技レッスンでどうしてあんなに気分爽快だったんだろうって理由をみつけたくて、どうやったら不登校の子たちと一緒にできるか考えたくて、フォーラムとワークショップで自分の心を観察してみながら参加したわけです。
今回参加させていただいたのは、プレイキッズシアターさんの演劇教育ナレッジセミナー指導者養成講座。楽しかった!!
たぶん、他人からどう見られるかって考えて不安や緊張におびえている時って、他者がいるけど他者とは関われていないんですよね。だって、勝手に自分で判断して震えているから。誰ともつながらないで、孤独でいる感じ。だから誰の目線も怖いわけ。つながってないから。
でも表現遊びをしているときって、見知らぬ誰かの目線をキャッチする暇がない。相手をじっくり見て、相手の動きをみて、相手とどうコミュニケーションをとるのか考えるのに集中しないといけないから。相手とのつながりができる。その時心の矢印は、自分から相手に向かって、相手から自分に向っての双方向にある。対峙している相手とどう自分は関われるんだろう、ってそこに集中するようになる。そうすると、周りのこととか気にならないし、「相手はこうしている、こう思っている」じゃあ「自分はどうする」ってことを考えられるようになる。他者の評価じゃなくて、自分がどうしたいかって思えるようになってくるんだなって。
これは実は前も感じたことがあって。イフラボで行ったダイアログ・イン・ザ・ダーク。視界が真っ暗になったときに、いつも不安でいっぱいな子が、どう話していいのかわからなくて、緊張して謝ってばかりの子が、自由に表現できるようになったことがあった。あれもたぶん、全方位に張り巡らされていた見知らぬ誰から受け取る目線がなくなって、声と息遣いと、相手に触れることを頼りに、コミュニケーション取る相手にだけ集中できたからなんだなと思いました。
ワークショップで、最後に発表する時に、ふいに観客(もうひとグループの参加者)の方に顔を向けてしまったんですよ(無意識で)。そしたら、一緒に表現していたグループとの双方向の矢印・つながりが途絶えて、私の全矢印が外に向いてしまった。それを自分が感じたの。そのとたん、めっちゃ緊張を感じてしまった。あ、何いったらいいんだろうって(何が正解なんだろうって)。
いつも、ひとりでよくわからない見えない目線におびえている子どもたちは疲れるだろうなと思ったし、相手がいる、私がいる、どうすべきこうすべきの評価や義務なしに、自分をそのまま表現する、っていう経験をたくさん積めたら、生きるの楽ちんになるし、なんかやってみようって一歩踏み出してみようって力になるだろうなぁと思った次第です。人とつながるのも怖くなくなるじゃない?
人とのつながりを正面から感じられるのがいいなぁって。
そこに何の不安もなく、人とのかかわりを心で感じられるの、演劇教育(表現教育)ってすごいなぁって思いながらあっという間の2時間でした。
日本でももっともっと広まればいいのにと心から願ってます。次の参加も楽しみです♪