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[感想]Oppenheimer観ました

 米国留学中なので7月末の公開日から間もなくしてIMAXで観てきました。良い作品なのは間違いないものの、結構なメンタルダメージを食らったのでこれどう日本でプロモーション・公開するんだろうな、と勝手に心配になった、という話です。
 以下、詳しいネタバレはしないものの、ざっくりこういうシーンが、、といった情報を含みます。
 

 時系列・脳内フィルターがまぜこぜになった大好きなノーラン節が効いているので、サスペンス的なスリルで展開に引き込まれながら、感情移入して重ーい気分になる、映画でした。観た後から丸一日ずっしりメンタルにきて、セットで後にBarbie観ればよかったと後悔したり(ただし、これはやらなくて正解だったと思い知る)彼や友達に文字数多いLINEをしたりしてました。この原因としてはいくつかあります。
 
 まずは、爆発とその影響の(音楽の使い方と伴って巧みな)表現によって、学校教育でこれまでインプットしてきた原爆資料、体験談が一気にフラッシュバックしたこと。閃光や爆発音、突風は直接描かれつつも、人的影響については比較的限定されている。それでも、こうした原爆の影響の表現によって、広島・長崎が被害を受けたことに対する思いと、感情移入によるオッペンハイマーの深い後悔とが同時に押し寄せる、という事態が発生したわけです。ここから、日本人がこの作品を観た場合、被爆経験やそれに触れた経験のない諸外国の人に比べて、質・パワー共に違う種類のダメージをくらいうるのではないか、と。
 津波や電車事故のシーンがある時のように、この点で注意書きが必要になるだろう、日本でどうプロモーションするか難しいだろうな、と単純に思ったので、公開が遅れるのは仕方ないとしばらくは感じていました。 
 が、未だに公開の予定がでていなさそうなことに正直いらだっています。その理由は2つ目のダメージ理由です。

 科学技術・科学者が軍事・政治に利用される容易さと動き出したものの止まらなさ、を目の当たりにすることで、色んなことを考えさせられる(が1つ目のダメージで脳が働かない)点が2つ目。
 作品のテーマとしても、原爆を作ったことが「世界を」変えた、ところに焦点が合っているように、この後から水爆も出てきて、冷戦時代の軍拡競争があって、核兵器を大量に持っている国がいくつもあり、その使用が現実味を帯びてきている今がある。そのとんでもなさよ。
 このグローバル課題に対してどう取り組むか、という議論に対して、被爆国として国内の被爆体験を語り継ぎ、平和を訴える、のも大事だけれど、それに加えて、もっと知らないといけないこと、アプローチがあるのではないか、という小学校からのもやもやの答えの一部をこの映画に見出したとともに、自分の無関心さに腹が立ってくる。北アメリカ原住民の核実験による被爆と土地の汚染について、思いを巡らすこともなかった。
 あと、軍だけではなし得ない兵器の実現について、科学者が関わるかどうか、その個人の判断が結局最後のストッパーなのか。当時と違ってデュアルユースの問題がもっとあるけれども、それも結局は研究者側が先手を打てるかが鍵でしかないのか?、、この辺りはまだ深く考えられていない。

 それにしても公開されないなんてことあるんだろうか。テクノロジーの未来キラキラな大阪万博期間中に上映、とかロックなことしてくれないかな、なんて。
 
 ちなみに、観に行ったのが公開翌週の週末だったのもあるけれど、DCメトロエリアのIMAXシアターは老若男女満席で、終わった瞬間は一斉に拍手喝采でした。名だたる名優がひしめきギミックが効いた映画としても、そのテーマとしても、強い思いと力が込められた重要な作品だと個人的には感じています。

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