[感想] ジョーカー フォリアドゥ:前作の答え合わせ
このホアキン・フェニックス版のジョーカーの解釈が前作から気に入って・気になっていたところ、続編が出たということで楽しみにしていたもの。ここ最近の傾向として悪い評判で盛り上がっている映画ほど自分好みなのが続いているので期待値MAXで行ったところ、サクッと超えてめちゃくちゃ良い映画体験だった、という人の感想です。
ダークナイト三部作でバットマンにはまって、The Batmanも気に入った、ハーレクインは観ていない、ミュージカル好き、というステータスです。
ネタバレします。
感想
本編終わった直後、エンディングの音楽と合わせてつい海外風に「フ―!!」と叫びながら拍手をしたくなったくらい、今時の良質なミュージカルを観たなあ、という感覚でした。ストーリー構成と画がとても美しい。映画より先に舞台化しても良かったんじゃない?とも。そうすればワーナーブラザーズのロゴをいじったりショートストーリーをはさんだりすることなく、観客も主題に入り込みやすかったのではとも(でもあれか、前作がないと成り立たないとなると厳しいのか。というかDCは舞台化はタブーみたいなんあるのかな)。いやー、でもこれが映画だから面白いんよなと思いなおす。
もしもジョーカーが自分を否定したら、の世界線と見るほかない。あれで何等かのトリックで生かされて(緑色の薬品に沈められるみたいな話なかったっけ?)バットマンと対峙するところまでくるのか(まだブルース少年なはず)、バットマンを出動させるわれらが知るクラシックなジョーカーは実はアーサーではなく信仰者の1人・ジョーカー#〇ということなのか。
となるとやはりもう1作くるということなのでしょうか。
ともあれ、前作のアーサーからのジョーカーへの移行・重ね合わせについて今一つ理解ができていなかったところが、今回答え合わせできてとてもすっきりしました。弁護士としては、病気として「ジョーカー」が分離可能な別人格であるとして現実社会での救いを提示する一方(それが救いであることは分かりつつ)、分離して否定するとなると、歪んだ結果になっているとはいえ「幸福の天使」であるという自分のアイデンティティを否定することになる。かといって、ハーレクインや信仰者が求めるジョーカーも自分と他人が作り出した虚像でしかない。それもひっくるめて「本体が」アーサーである、というあり方で生きようと何度もトライしつつも、結果としてただ他人に傷つけられる、というループから今回も抜け出せない。
シカゴっぽいという説
YouTubeの解説動画で、シカゴのロキシー・ハートとアーサー・フレックを比較したものがあったのですが、これが割と納得でした。
Temuいうてるんでアーサーの方を若干ディスってる論調とはいえ、死刑がかかった法廷がショーとなっていること、大衆が熱狂して一人歩きする虚像と自己のギャップ(への対峙の仕方は違うけれども)、その虚像を自分のために利用しようと近づく第三者、という要素で見ると確かに面白い。
つまるところ、フィクションを抱えながら現実にどう向き合うか、というのはいくらあっても飽き足りないくらい色んな人の話をみたいし考えたい、というのが自分の趣味嗜好のようです。