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学校は変わるのか変わらないのか?
タブレットは単なる道具ではない。
chromebookをはじめとしたタブレットが学校に導入されて1年と1学期。この間、学校格差、教師間格差が少し広まったようにも感じる。去年の最初の頃は、ある程度学校全体で活用していこうという雰囲気はあったものの、実際に使ってみると便利なのは分かっているけどといった意見。
タブレットを単なる道具としてとらえて、便利な道具なんだけど、実際使うとすると準備もいるし、どんなふうに使っていいかわからないし、といった声が多い中、その中で気になるのは、授業のどの場面で使ったらいいのかよくわからないという意見の多さ。
これって、パソコンが導入されたときに、パソコンは道具なんだから授業のこの場面で使うのが有効です。パソコンを使うことが目的とならないようになんて言う意見などが多かったわけなんだけど、それが今も繰り返されているように感じている。
従来のパソコン導入と今回のタブレット導入は目的も意識も本来は違うのではないかな。一人一人にタブレット(パソコン)が配布されて、それがインターネットにつながって、学校と家庭を繋いだり、うまく活用できれば世界の子どもたちと学びあえる環境が整ったのに、いまだに、国語のこの単元でタブレットを使ったら有効でいい活用の仕方ですねなんていうことで満足してしまってはいないだろうか。
タブレットは教科を理解するための単なる道具ではないんです。子どもたちの未来を切り拓くとてつもない可能性を秘めた道具なんです。そう思いませんか。
授業はどう変わっていくのか?
今のところ、タブレットが入ったからと言って急激に学校が変化しているとは思えない。まあ、学校というのは一番保守的な場所だから変化を好まないというのはある程度分かる。でも、それでいいのかなって思う。
電子黒板が入ってデジタル教科書を利用して、ある場面ではプリントや小ホワイトボードに変わってタブレットが利用されて、一見したところ、学校は変わったねって見えるかもしれないが、授業の組み立てや指導計画に大きな変更はないはずだ。どこの学校も年間指導計画を作成しているはずだが、まったく自作の年間指導計画を作成している学校は少なく、教科書会社の作成した年間指導計画をもとに、それを修正してっていうのがほとんどだろう。だから変わりようがない。
変えてみよう!
極端に言えば、ある程度内容を教えれば、あとはタブレットのドリルで何回も復習して定着させる。空いた時間は思考・判断・表現の問題に取り組ませることも可能。理解の遅い子どもには個別に指導に入るもよし。
これを一時間単位の授業でなく、長いスパンで計画していくとかなりいろいろなことができるはずだ。
もっと子どもたちが主になって物事を調べたり、音楽や動画などを作成するととで、各教科横断的な取り組みもできるはず。総合は批判されてちょっと肩身の狭い思いをしているが、このタブレットと総合は相性がいいし、この総合を充実させることで、子どもたちの可能性を伸ばしていくことも可能になってくると思う。当然教科でも今までとは違う取り組みで。
一人一台タブレットがあるこの奇跡。
このタブレットで何ができるのか、どんな授業ができるのか、指導計画は今まで通りでいいのか、まったく新しい取り組みができるんじゃないのかなんて発想してみては面白いんじゃないかな。
で・・・・。
この話、ちらっと校長先生に行ってみましたが、まあ、先生方もいろいろと忙しいし、新しいことに取り組むには余分な時間も割かれるし・・・。といったごもっともな意見。
どこの学校もそうなんだろうな。でもICT支援員、様々な可能性を探って提案することも仕事の一つ。めげずに頑張ろう。
次回はちょっと10年先の世界と学校っていうことで話(わ)だってみようかな。(続く)