個別最適な学びと協働的な学びとICT 2
前回、個別最適な学びとICTということを書きましたが、今回は協働的な学びとICTということで思うことを書いていきたいと思います。
協働的な学習ということで言えば、これは今に始まったことではなく、何十年も前から班学習やグループ学習、その学習を受けての全体での学習と協働学習いうことは広く行われてきました。
特に、総合的な学習の時間が入ってきたときには、テーマを協働で学ぶなどは多くの学校で行われてきたことです。だから、別にICTがないとできない学習ではありません。では、なぜ、今ICTと協働学習が叫ばれるようになったかというと、次のような利点があるからだと考えます。
学びの結果物とICT
まず、大昔でいえば、協働学習で学んだ結果は、主に模造紙に書いて発表するという形を取ってきました。まず、鉛筆で下書きして見えるようにマジックで上書きをするのだが、たまに間違う時があります。その時は、マジックを消すことはできないので、その部分に紙を貼って訂正するという極めてアナログ的な修正方法を行ってきました。レイアウトを間違ったときには最悪です。もう一度一から書き直しということもたまにはありました。情報も、文字と写真やイラストが限界でした。
では、ICTを使うとどうなんでしょうか。
まず、扱える情報が文字、写真はイラストは言うまでもなく、場合によっては動画を貼り付けて説明することができます。これは紙媒体ではできなことです。
また、レイアウトにしても後からいくらでも修正が可能で、文字の大きさや色、写真やイラスト、動画の位置も自由にレイアウトして修正が可能です。
そして最大の利点は、模造紙の場合は、ほとんど学習が終わったらよほどのことがない限り処分されます。廊下などに張り出して、他学級などに見せた後は、悲しいいかなその学習物は灰になってしまいます。写真にとって保存するということはあるかもしれないけど、それを再利用することは殆どありません。
しかし、パワポやスライドでまとめると、その作品は保存が効き、消去しない限り永遠にデータは残ります。下級生が前年度の上級生の作品を参考に学習することも可能です。学習物の再利用ができるというのが、大きな利点ではないでしょうか。
協働学習の方法が変わる
あるテーマが与えられて、グループ学習を行う場合、従来では小ホワイトボードに意見を書いて、そのボードを黒板に張ってグループ発表という形が一つでした。それはそれでいい方法だとは思いますが、教師の準備は大変です。小ホワイトボードが教室に常備されていれば別ですが、殆どの場合、教科準備室から持ってきて、ホワイトボード用のペンやイレイサーを準備してという作業がいります。
しかし、ICTを利用すればタブレットを開くだけで、ホワイトボードに早変わり、キーボードで入力すれば、ペンも必要なし。余分なペンの消耗品の購入も不必要です。。
アプリを利用すれば、リアルタイムに同時に書き込みが可能であるし、言葉で言うことは必要なんだろうけど、言葉でうまく言えない子どもも文字で参加できます。
これって道徳の授業のときによく思ったことですが、授業中に発言の少ない子どもも、プリントで考えを書かせるとすごくいい考えをかける子どもが多くいます。だから、文字情報で考えを書ける手段というのは、ICTの一つの利点だと思います。
さらに、小ホワイトボードは、前時の学習内容は消えてしまいますが、デジタルデータは容易に保存が可能です。そして、いつでも呼び出しが可能ですので、学習を深化するには手助けとなる学習機器になります。
第三者との協働的な学び
協働的な学びとICTでいえば、第三者との学習が容易になったことが挙げられます。協働的な学びで言えば、以前は、学級内のグループや班、最終的には学級での協働的な学びで終わってしまったように思われます。
しかし、ICTを利用すれば、ネットを通じで他学級や他学校との協働的な学びもできます。20年以上前、Skypeが流行り始めた頃、こうした学習が始まりましたが、ネット回線の遅さやカメラ機能が十分でなかったため、かなり苦労してテレビ会議学習を行った経験があります。
今は、zoomやmeetを使って簡単に協働学習ができます。昔はSkypeと掲示板を立ち上げて、掲示板に文字情報や画像などをアップして学習していましたが、今はzoomやmeetの中にその機能があり、画面を共有しながら學び合えます。本当に便利な時代になりました。
だから、こうしたzoomやmeetを利用することで、学級内という閉ざされた学びからもっと広い協働的な学びに、今後は発展していくのではないかと思います。
ICTと協働的な学びの未来
ICTを利用することで、協働的な学びの範囲が広がっていく。今までは、専門家に学校に来ていただくのには、様々な手続きや手配、時間割などの工夫が必要でした。しかし、ICTを利用すればそうした雑務ももっと軽減されるでしょう。
しかし、そのためには、そうした専門家を容易に利用できるための仕組みは必要で、それは、文科省や県や市町村の教育委員会、NPO法人などの協力が不可欠です。職場体験などのリスト作成などはある程度できていますが、学びのスペシャリストの作成はまだまだで、その運用についてもこれからだろうと思います。
将来的には、協働学習予約サイトなどができ、何月何日にこのテーマで協働学習できる学校や学校はありませんかと呼びかけると時間が合う学校はそこに予約ができ、協働的な学びが可能になる。そんな学習マッチングサイトができればもっと学びが広がるはずです。そして、その学びが外国まで広がれば、もっと身近に外国が身近に感じられるようになるだろうし、国際理解も深まるはずです。言語の問題はあるが、今の翻訳ソフトを利用すれば、かなり補えるのではないかと考えます。
そのためには、やはりそうした学びができる時間の確保で必要です。文科省はグローバルを謳っているにも関わらず、そうした学びの時間を確保していません。
現場にいたときにいつも思ったことは、この教科書の内容が本当に将来の子どもたちに必要な内容だろうかといった疑問でした。
高校入試をみれば、県によっては入試の平均点は500点とすると約半分の250点そこそこです。つまり、3年間学習しても、平均的には半分しか理解していない。これは今に始まったことでなくて、何十年も大体同じです。
教科書の半分しか平均的に理解していなくても、高校に入って、高校によっては格差はあれ、ほとんどの生徒は卒業していき、この日本を支えています。つまり、半分の知識理解でも、十分大人になってもやっていけるということです。それなら、その必要な知識・技能を100%習得する方がましでしょう。理解しなかったその半分に費やした時間を、他の応用的な時間に回せば、もっと楽しい学びができるんじゃないかと考えます。極論かもしれませんが、ふとそんなことを思ったりします。
学習内容を精選して、総合的な学習の時間を設けたあの時代が本当に問題があったのか、PISAのデータが本当に将来の日本にとって驚異のデータだったのか。そんなことももう一度検証して、ICT時代に本当に必要な知識や学びをもう一度検討して、次期学習指導要領は画期的な変革をして欲しいと一人思いをはせるICT支援員でした。(続く)。
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