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時代はきれいな板書より粗いICT活用

こんにちは。ぐうぽんです。

先日、一冊の本を買いました。

本屋さんのおすすめになっていて、ふと手に取ったらなかなか良い内容でした!

その中に、「板書を減らす」提言があり、色々な考えが巡りました。

私は板書をあまり好みません。
一応黒板に書いたりしていますが、流れを示すものが多く、授業展開はClassroomやオクリンク、ムーブノート等のソフトで賄っています。

意見は共有ソフトと話し合いで

私自身、板書はあくまで導きや意見のまとめであり、よく見かける黒板一枚にきれいにまとめるのは今の時代には不釣り合いじゃないかと思っています。

確かに導入展開まとめが色を変えて見やすく一枚に収まるとかっこいいとは思います。

でも授業っていうのは見栄えなのでしょうか?
本当の核になる部分って、子どもたちの活動や理解なんじゃないでしょうか?


という訳で、私は一つ決めました。

板書しない。極力しない。

でも勘違いしないでくださいね。
私が伝えたいのは美しい板書は目指さないということです。

かつて担当した社会科を振り返ると、板書がきれいにまとまると自己満足になっていました。
そして「もっときれいな板書を目指そう!」なんて思っていました。

でも、何度やってもできなくて、他の先生の板書を見るたびに自己嫌悪に陥っていました。

まあ、無理なことをするな、ということなのでしょうか。

今回提案しているのは、内容によってはポイントだけにするとか、箇条書きだけとか殴り書き程度に留めようとするものです。

板書自体を否定はしません。
でも一度立ち止まってみたいのです。

その美しさは、果たして児童生徒の学習理解になっているのか?
思考したり話したりする活動はできているのか?
意見がぶつかり合うような活動はできているのか?
美しく板書しても、ノートに書けていなかったり、そもそも理解につながっていなかったりしては意味がないのでは?

それよりも

めあて、発問等を板書する→タブレット等で意見交流させる→結果を板書

の方が活発な活動のような気がするんですが、皆さんはいかがお考えでしょうか?

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ぐうぽん|教育×ICT
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