アランフェス通り
自分の棲み家である都営住宅を、老人は眺めやっていた。蛍光灯の色が縦横に規則正しく発光している。あと一階上の最上階だったら夜景が見えるのに、と電話をとり出した。
「というわけで、では、いまから出る」
ここから三〇分でアランフェス通りに出ることができる。老人は電話をバッグにしまい、乗り込んだ。
電話をズボンのポケットに入れた中年は、走っている国道一四号線からアランフェス通りまで三〇分でつくようにアクセルを加減した。目のまえを光の粒子が拡散して散らばっていく。
老人はアランフェス通りに入った。前方、起伏のある道を走るブレーキランプやヘッドライトの並びが、波のように見え隠れしている。ときおり右手に海が見えた。左手に煌々と灯るリカーショップを見い出し、その駐車場に入った。
中年はアランフェス通りに入った。左手に湾岸、上下にひかりの波打つ通りを走らせながら、右手にリカーショップの灯火を見い出そうと、注意深く目を凝らす。
老人はついでに軽食を買おうと店に入った。窓際に設置された棚を眺めていると、硝子を射るヘッドライトの粒子が瞳に入った。
中年は車中、アンビエントライトを調整して、シートを倒した。とり出した電話を横に置いて目をとじると、車窓が鳴った。見やると老人が立っていた。起き上がった中年はトランクをあけ、ドアを出た。微かな潮の匂いが鼻腔を撫でる。中年は老人に黙礼してトランクから苗を出した。それを受けとった老人は残りの金額を払った。
老人は棲み家へともどるべく車を走らせた。年甲斐もないと苦笑したのは、夜のなかのあれこれの車両が覆面パトカーに見えてくるためだった。光の波打つアランフェス通りを速度通りに進んだ。
中年はアランフェス通りから一四号線へ入り、帰宅路へと南下した。あちこちに仕掛けられたオービスの隙を突いてはアクセルをふんだ。途中、右手の湾岸をすべる列車と並行して走った。
様々なるひかりが、アランフェス通りに集まる。そのひかりは夜空に階段をつくり、海上に道をつくる。場所と場所の境界を結界と結び、そのちからによる磁場を内包して、様々な移動を維持している。
サイドブレーキを引いた老人は苗を抱え、都営住宅の古びたエレベーターに乗った。エレベーターのなかはしんとしていて落ちつかない。はやる気持ちを抑え、ドアがあくと、あえてゆっくり歩き部屋にもどった。
中年は南下がつづくと、更にアクセルをふんだ。仕事も帰路も速度を念頭に置くことを信条としている。今回も速度ある帰宅をする予定だった。予定が崩れることはたまにあるが、今夜は予定通りにいくと思われる。
老人は真空管ラジオが置かれたデスクに向かって座り、さっそく苗を置いた。土は色濃く湿っていた。残念ながら、今年の初夏までには間にあわない。けだし来年の初夏には実るだろう。夜を甘美にするための中継映像に、リアルなアランフェス通りが映り込んでいる。彼は線香を立て、過去の多い時間というものを思いながら、次第にまどろんだ。
中年はベランダに出た。アンティークの長椅子に座り、庭にある畑と苗畑とを眺めた。いつまで続けられるのか。とにかく今年の初夏は豊穣となろう。その向こうに東京湾が望める。浮かぶ陸影のなか、イミテーションのようなアランフェス通りが明滅している。彼は過去と未来に挟まれている今夜を、けむりとともにたゆたった。
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