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日本の学校教育は“オワコンなのか

日本の教育は,今の時代に合っていないという話はよく聞くところである。
ある人は,’今の学校は限界に来ている’“オワコン(終わったコンテンツ)”と言う。

現在の学校教育は,たしかに迷走している。これまでの経験則が邪魔をして,目標を共有することが難しいからである。学校教育に携わる我々自身が、社会の変化を感じ,最上位の目標を共有できているだろうか。

■かつての社会が求めた人材


高度経済成長期の社会が求めた人材は,「勤勉な労働者」である。「従順な人間」「よき納税者」とも表現された。学校教育には現在もなお、そのように考える傾向が色濃く残っているのかもしれない。
現在の学校教育の在り方を憂う人は言う。「今の学校は,時代に合っていない,社会の変化に全く追いついていないと思う。もしかしたら生徒のためにも,社会のためにも役立っていないのかもしれない。弊害だとすら感じるときがある。」
これまでの学校は,勉強を教わる場所,集団での振る舞いを身に付ける場所であった。そして,「あの学校に入れば大丈夫」という”人任せ” ’肩書頼み’ の神話的な期待もあった。私は,そのような学校運営はしたくないという思いである。       

先日の朝の礼拝で,旧約聖書箴言27章17節「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される」という講義を耳にした。私は、この言葉にインスパイアされた。
私は、かねがね「ひとりにもなれる、ひとつにもなれる」と唱えているが、   「ひとりにもなれる」とは,自分を磨くのは自分、「ひとつにもなれる」とは,人は人によって磨かれるということだ。学校は、人が人で磨き合える場所であってほしいと思う。

■これからの社会が求める人材


これからの社会が求める人材は,「主体性」「柔軟性」「人たらし」であると私は考える。それは,「異質のたし算マインド*」が,リサーチ力やクリティカル力を身に付けさせるからである。だから,「自らヒト・モノ・コトに関わろうとする主体性」,「多様なヒト・モノ・コトを受け入れる柔軟性」,「人から好かれる人たらし」の要素が、”たし算”を生みやすくする。

これからの社会が求めるのは,主体性であり,オープンマインドをもつ人材である。この部分においては、残念ながら、マインドセットを重視した教育を進めている海外の学校の方が優れているように感じる。「自分は何者か」に自ら気付かせようとする教育である。
本校で言う「大切なひとり*」につながる考えである。本校は,日本の学校の特徴+このマインドセットを重視する教育を行っている。私は,本校の理念に時代が追いついてきた(笑)と考えるようにしている。

私は,オープンスクールの校長あいさつで言った。
「”知識・スキル・偏差値”だけを偏重する学校は“オワコン”です。本校は,”知識・スキル+マインドセット重視” を理念とする学校です。これまでも、これからもこれを目指してやっていきます。それが、これからの社会で活躍する人材を育てる教育です。」と。


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