『ブンナよ、木からおりてこい』を読んで〜命をいただき、生き永らえるわたし達〜
心引かれる本に出会う
水上勉の長編童話『ブンナよ、木からおりてこい』に心引かれ、これまでに幾度か読み返し、読むたびに感動を新たにしてきました。
「かえる」というとすぐに「井の中のかわず大海を知らず」を思い浮かべるのですが、主人公のブンナも寺の沼で生まれ育ったかえるですから、まさしく「井の中のかわず」だったのです。
ブンナの冒険
このブンナが、寺の沼のそばに生えている椎の木に登ったことから、この物語は始まっていくのです。
椎の木のてっぺんは、台風で折れたのか、折れたところに穴があき、そこになんと土まであるところです。
ブンナは意を決して、椎の木のてっぺんに登り、そこの土の上で泊まる冒険に挑んだのです。
ブンナがたどり着いた椎の木のてっぺんは、実は恐ろしい鳶(とび)の餌置き場で、鳶はここに半死半生の餌を次々に持ってきては又運び去るのです。
椎の木のてっぺんに運ばれてきた雀、百舌、ねずみ、へび、牛がえる(以下、餌たちとします。)は、つかの間の生を嘆きそして消えていくのです。
餌たちは、死を間近にして、父母のこと、育った境遇のことを切々と語り、読む者にあわれを催させてくれます。
この餌たちは、鳶に運ばれていく束の間の命ですが、こんな修羅場においてもそれぞれの個性をむき出しにして、後悔したり、ざんげしたり、自分だけ生きようとブンナを身代わりにしようとしたり、お互いに闘争したり、またそのことを反省したりします。
そして、生きる希望を見出そうとするかと思えば、生きることのいっさいをあきらめたり、時には生死を忘れて母親じまんをしたりします。
風前のともしびの餌たちが「生きるとは、命とは」を語るのですから、その一つ一つの言葉は読む者の胸を打ちます。
死後の世界を語るのは人間だけ?
しかしながら、死にゆく餌たちも、死を前にして人間のように天国とか地獄とか、死後の世界のことは一切口にしないのです。
作者も死後の世界のことを語れるのは人間だけであり、餌たちにこれを語らせることは無理と考え、そこに一線を引いたのかもしれません。
餌たちの中で、ねずみだけが椎の木の上で衰弱死したので、鳶の餌にはならなかったのですが、そのねずみが死ぬ間際にブンナに告げた言葉は光っています。
「みんな死ぬときは土になってゆくのだ。その土になる途中でおれの体から虫がでてくるはずだ。きみはそれをくって元気なからだになりたまえ。」「動物はみんな弱いものをくって生きている以上、だれかの生まれかわりだ。僕の体から出た羽虫を食ったら君は僕の生まれ変わりだ。」と感動的なせりふを吐くのです。
全ての子育て中の皆様へ読んでいただきたい本
このブンナの物語は、小学生の低学年から高学年の子に読み聞かせするのに最適な童話だと思います。
いや、小学生だけでなく親達や大人が読んでも十分に感動に浸れる物語だと思います。
私は子育ての最中にこの本に出会えなかったのは残念でしたが、成長した子ども達にこの本を読んでもらっています。
どの子もこの本を読んで感動し、父親の私に感謝したようです。
まだこの本に出会っていない皆様、ぜひ一読をすすめます。できればお子さん達に読んで聞かせてやれば感動がなお一層深まることと思います。
椎の木の上で大海知るブンナ(川柳)
青がえるいつも空とぶ夢ばかり(俳句)
人間は数多(あまた)の命いただいておのれの命永らえている(短歌)
●水上勉『ブンナよ、木からおりてこい』新潮文庫
書影は、『ブンナよ、木からおりてこい』三蛙房
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