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沖縄戦の置き土産・不発弾〜沖縄本土復帰50周年に寄せて⑤〜
私の沖縄時代の知人にA君がいました。A君には左手の手首がなかったのです。
聞いたところによるとA君は幼い頃不発弾事故に遭遇したとのことです。
A君はいつも左手をポケットに入れていたことを憶えています。
このnoteでも記載しましたが、沖縄では1978年(昭和53年)7月30日に「730(ナナサンマル)」で自動車の交通区分が右側走行から左側走行へと変更となりました。
この「730(ナナサンマル)」以降、左ハンドルの車を右ハンドルの車に乗り換える人が多かったのです。
しかしA君は、左ハンドルの車で通していました。
それは、左手首がないため右ハンドルの車ではレバーの操作ができなかったからです。
A君が遭遇した不発弾事故は、沖縄戦で落下されたものでした。
沖縄戦は「鉄の暴風」とも言われ、米軍から20万トンもの爆弾が投下されました。そのうち1万トンが不発弾となってそのまま置き去りにされました。
戦後から1972年(昭和47年)5月15日の復帰までの間に、不発弾による死傷者が1927人も出ていたそうです。
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戦争が終わってから77年、今なお沖縄には多くの不発弾が野山や地中や海中に放置されたままになっており、これら全てを処理し終えるには、ここからさらに70年ほどかかると言われております。
沖縄では、工事中に不発弾が発見されることがよくあります。
不発弾が発見されると、その周辺住民は避難を強いられたり、交通規制が取られたりして今もなお不便な生活を強いられております。
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今なお激しい戦闘が繰り広げられているウクライナでも、やがて戦争が終了すると残された不発弾の処理に苦労することになるでしょう。
沖縄戦といい、ウクライナ戦争といい、人類はいったい幾度愚を繰り返さなければいけないのでしょうか。
不発弾怖い戦(いくさ)の置き土産(川柳)
プーチンの背後で蠢(うご)めく死の商人この戦争で巨万の富得る(短歌)
参考文献:時事通信社2022年5月7日配信
残る危険「ゼロになる日まで」 沖縄戦不発弾まだ2000トン―処理隊奮闘・陸自