短詩(短歌・俳句・川柳)を楽しむ①
短詩には、短歌・俳句・川柳が古くから知られておりますが、それぞれ歩んできた歴史があり、作り方にもそれぞれの作法があり、現在3つとも日本の伝統文化として多くの人々に愛されています。
私もこの3つの短詩のそれぞれが好きで、3つの詩型を一つに絞らずに3つを随意に組み合わせながら楽しんでいます。
それでは、3つの短詩の魅力を順を追って述べてみます。
1番目の短詩、狂歌
短歌は、三十一音で詠まれており、三十一文字(みそひともじ)とも呼ばれており、短歌と同じ形式で狂歌(こっけいを主にしたくだけた短歌)もあります。
最初に、お気に入りの狂歌を登場させます。
ほととぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里(読み人知らず)
私は40年前に防風林のある地に住むようになりましたが、住み始めた頃、この地には、時鳥(ほととぎす)や鶯(うぐいす)郭公(かっこう)が
競い鳴いておりました。時鳥は夏鳥として古来詩歌に多く歌われてきた鳥ですが、聞いていても決して趣のある鳴き声には思えません。
特に時鳥は「てっぺんかけたか」と聞こえる鳴き声が賞せられているようですが、正直いってどうしてこの鳴き声がいいのか、と今も思っております。
時鳥の鳴き声よりも郭公や鶯の方がずっと趣があって優雅です。
この地ではかつて、確かに時鳥が鳴いておりましたし、酒屋にも豆腐屋にも遠く、この狂歌にうたわれていたとおりの里でした。
それでこの狂歌が大変私の心に響いたのです。
しかしながら、最近は開発が進んだせいか、時鳥も郭公も鳴かなくなり、我が家の周辺の竹藪では、鶯のみが美声を張り上げて鳴いてくれております。
私は冒頭の狂歌の時鳥をひそかに鶯に置きかえてこの狂歌を楽しんでおります。
2番目の短詩・俳句
次に、数多ある俳句の中で、お気に入りの一句を取り出してみたいと思います。
蒲団着て寝たる姿や東山 嵐雪
江戸中期の俳人、服部嵐雪のこの句は、やわらかい線を描いて横たわる冬の東山を描いた句として有名です。
私は、この句ではじめて京都を含む西日本では、蒲団をかけるというのではなく蒲団を着るという表現を知り、大変新鮮な思いをしました。
西日本方面では「帽子をかぶる」ことも「帽子を着る」ということを知り、なおびっくりしました。
狭い島国の日本ですが、いたるところで豊かな表現が残っていることにただただ目を丸くしております。
三番目の短詩・川柳
レンジでチン私が一人生きる音 平田明子
社会が成熟していきますと子どもの数が少なくなり、高齢者がどっと増えると言われております。
日本の社会は今まさに少子高齢化のまっただ中にあります。
文明の進む中で家庭には電化製品が溢れ、無機質な音を立てています。
こんな中にレンジだけが少し有機質に近い「チン」という音を発しております。
この「チン」の音に一人住まいの高齢者が生きる音と表現してこの一句を詠み
上げております。
寂しさがジンと伝わってくるような一句です。
短詩から短詩への転換
梅雨の最中に栗の花が白く咲きはじめます。
咲いている栗の花をよく見ると、上の部分はみんな雄花ですが、元の方には雌花があり、この雌花は幼いながらもう青い針に包まれ鎧っています。
そこで次の一句が生まれました。
栗の花早くも雌花鎧けり(俳句)
この句が生まれてしばらくして、子どもの頃の「嘘ついたら針千本飲ます」と囃し言葉が浮かんできたので、
針千本青栗の毬見せてやり(川柳)
と、この一句が生まれ、川柳への転換となりました。
そして、この青栗が熟栗になったところで次の短歌に転換しました。
幼きに栗の実盛りておもてなし厨(くりや)のゼリーもう冷ゆるころ(短歌)
こんな風に俳句から川柳へ、そして短歌へと作り換えることを、私は短詩から短詩への転換と呼んでおり、時折出来上がった一つを転がして楽しんでおります。