くじら今昔物語3〜アキシマエンシスに会いにいく〜
はじめに
「くじら今昔物語3」は、かねてから東京都昭島市の「アキシマエンシス」のことを書くと決めていました。
「アキシマエンシス」とは、昭島市で発見されたくじらの化石の学名(の一部)です。
昭島市では、このくじらの化石から、市のキャラクターとしてくじらを定めていると知り、いつの日か同市に足を運びたいと思っていました。
そんな矢先、過日、昭島市に足を運ぶことができ、アキシマエンシス の街を
つぶさに見聞することができました。
本稿は、この日の見聞記ということになります。
人口減少社会の到来、少子化の波
少子高齢社会に移行してから久しいです。高齢化はともかく、少子化の進み方は目覆うばかりです。
毎年、今頃(6月)に厚生労働省は、人口動態統計を発表していますが、この発表によると、2023年に生まれた日本人の子ども(出生数)は、72万7277人で、一人の女性が生涯に生む見込みの数を示す「合計特殊出生率」も、1.20で、それぞれが過去最低であると報じています。
この数字を捉えて、研究者や学者などの団体が、日本が今のままの出生数で突き進めば、数十年後には、消滅する自治体が生ずるとして、自治体の実名まで報じ、世間の注目を集めています。
そして、多くの自治体は、消滅してはならじとあの手この手で、人口減少に歯止めをかけようともがいています。
こうした中で、全国の自治体はおらが町のキャラクター(いわゆる「ゆるキャラ」)を登場させ、盛んに町おこしに力を注いでいます。
しかしながら、「ゆるキャラ」を登場させたくらいでは、この構造的な少子化、人口減少は止まらないのです。
昭和の大合併、昭島市の誕生
ところで、くじらを市のキャラクターに採用し、町おこしのシンボルに活用している自治体があります。この自治体が、東京都昭島市なのです。
私は、昭島市がくじらを市のキャラクターとして採用し、ユニークな街づくりに取り組んでいることを知り、かねがねこの昭島市を訪問したいと思っていたところ、過日この訪問が実現したので、胸を踊らせ出かけました。
それでは、まず昭島市の沿革について触れることにします。
昭島市は、昭和29年、近隣の”昭”和町と拝”島”村の二つの自治体が合併し、新生「昭島市」が誕生しました。
ところで、昭島市が誕生してから7年後の昭和36年8月20日、同市を流れる多摩川の河川敷で、くじらの化石が発見されました。
この時、発見されたくじらの化石は、専門家の鑑定で200万年前の化石であること、そして新種のくじらであることがわかりました。
そしてこの化石に「エスクリティウス アキシマエンシス」という学名が名付けられています。
化石が発見された多摩川の河川敷は、200万年前は、海であり、この海に中型のくじらである「アキシマエンシス(以下「昭島くじら」という)」が遊泳していたのです。
この光景を想像すると、そこには限りない太古のロマンが広がり、新生昭島市民の心を和やかにしたことでしょう。
化石の発見された当時、合併して間もない昭島市は、一つには、合併した両町村の住民の融和、それに加え新住民と旧住民の融和など、解決しなければならない課題が、山積していたようです。
これらの課題を解決するためには新たな市のシンボルが必要で、ちょうどこの頃発見された「昭島くじら」が市民がひとつにまとまるきっかけとなったのではないでしょうか。
そんな事情で、「昭島くじら」は、新生「昭島市」のシンボル的な存在となり、市民の間に親しまれ次第に浸透していったのではないでしょうか。
くじらとの共生
年月の経過とともに、「昭島くじら」は、市のシンボル・キャラクターとして定着し、いつしか商店街に「くじらロード」が生まれ、祭りも「くじら祭り」と呼ばれるようになり、「昭島くじら」は、今ではすっかり市民権を得たのです。
私が足を運んだ昭島市には、「昭島くじら」をモチーフにした建物やオブジェが至る所に見受けられ、昭島市の60余年に及ぶ取り組みが身近に感ぜられました。
化石という、一見すると地味な遺跡に光を当て、昭島市のキャラクター、シンボルにまで高めた同市と同市民の取り組みに心からエールを送りたいと思います。
海のない昭島市、くじらとは何の縁(えにし)もなかった同市が、化石が縁でこんなにも見事にくじらと縁結びをしていることに、改めて「縁は異なもの、味なもの」という「イロハかるた」の文言を思い浮かべ、味わっているところです。
最後は、いつものの短詩でもって締めくくることにします。
その昔鯨が泳ぎ哭いていた
海原(うなばら)今は鮎上りゆく (短歌)
梅雨湿り母の遺品のくじら尺(俳句)
絵日記のくじら盥(たらい)で潮を吹き(川柳)
【参考文献等】
・厚生労働省HP
・昭島市HP
・昭島市教育福祉総合センター『アキシマエンシス』