見出し画像

蛇(ヘビ)にまつわる干支(エト)セトラ〜干支あれこれ〜

再生と誕生


新年あけましておめでとうございます。

 昨年の干支は、辰(竜)年でしたので、エッセイは「辰年あれこれ」でしたが、今年は「巳(み)年」すなわち蛇年ですので、今年のエッセイは、自然の流れで「巳年あれこれ」に決まりです。

 蛇が他の生き物と違っているのは、脱皮することで、そのことから「再生と誕生」を意味するとか、「抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まる」などと、幸運の生き物とも言われています。

 過日、朝日新聞の短歌欄(令和6年11月10日付)に「蛇の抜け殻」についての1首がありました。なかなかユニークな歌でしたので、ここに紹介します。

      お土産に蛇の抜け殻折りたたみ
                大喜びで持ち帰る孫  宮本佳子 

 蛇の抜け殻を持ち帰り、お孫さんはこの抜け殻をどうしたのでしょう。おそらく、お孫さんは祖父母から「蛇の抜け殻を財布に入れておくとお金が貯まるよ。」とでも聞いていて、自分の小さな財布にこの抜け殻を入れて、お金が貯まることを願い、小さな胸を期待で膨らませているのでしょうか。
 なんとも微笑ましくなる短歌です。

 今年もご贔屓に!

沖縄の「三線(サンシン)」、果たして正体は?

 ところで、蛇のことで、もう一つ述べておきたいことがあります。
 沖縄の三線( サンシン、いわゆる三味線)ですが、この三線の胴の表裏には、ニシキヘビの皮が貼ってあるのです。
 しかしながら、ニシキヘビは希少動物となり、蛇皮の輸出入が制限されております。そのため現在では、養殖された「ビルマニシキヘビ」に限って使用が許されているそうです。 

 ここで三線の歴史ですが、中国の元の時代に由来し、その後琉球へ渡来したそうです。
 やがて三線は、琉球王国の民族楽器となり、本土に渡り三味線へと変身していったのです。
 
 沖縄は、先の大戦で唯一の地上戦となった地域です。楽器はおろかありとあらゆる物が、焼失してしまいました。
 
 米軍の捕虜収容所の中で、楽器に飢えた人たちは、パラシュートのひもと空き缶により、手作りの「カンカラ三線」を作り出しました。
 
 「歌の島」とも言われる沖縄の人たちは、このカンカラ三線で民謡を歌い、心を癒し、人間らしさを回復して生きる力を培っていったのです。

沖縄の三線

 巳年にちなんで、このエッセイは、蛇の抜け殻や三線で始まりましたが、次に「蛇」と私たちとの関わりについて、物語や伝承の面から眺めていくこととします。

聖書の中の「蛇」

 旧約聖書の「創世記」には、エデンの園において、蛇が登場します。
 アダムとイブは、神から「食べてはいけない。」と言われたにも関わらず、善悪の知恵の木の実をその言いつけに背いて食べてしまうのです。
 この時、二人は、神に対する言い訳として「蛇がそそのかしたからだ。」と答えてしまいます。
 
 アダムとイブが人間として「原罪」を背負うことになる重要な場面に、実は蛇が登場しているのです。

 果たして、クリスチャンは、人間に原罪を負わせたこの蛇を、隣人のごとく愛することができるのでしょうか。

禁断の果実?!

日本神話の中の「蛇」

 次に、登場するのは、記紀神話に登場する「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」です。
 
 出雲国、斐伊川の上流に、頭尾は各々8つに分かれている「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」がいました。
 素戔嗚尊(スサノオノミコト)が、この大蛇を退治して奇稲田姫(クシナダヒメ)を救います。
 その後、素戔嗚尊が大蛇の尾を裂いたところ、「天叢雲剣」(アマノムラクモノツルギ)を得たという物語です。
 
 この剣は、「八咫鏡」(ヤタノカガミ)、「八尺瓊勾玉」(ヤサカニノマガタマ)と共に、皇室の「三種の神器」として保存されている宝物です。

 三種の神器の一つである「剣」が、蛇の中から出てきたのであれば、、皇室としては、神器の生みの親である蛇のことを、おろそかにはできないことでしょう。

安珍と清姫

 最後に、蛇の出てくる物語は、「道成寺」とも「安珍清姫物語」とも呼ばれる伝説です。
 昔から、能や歌舞伎、浄瑠璃などにもなって広く知られています。

 若い僧に恋した13歳の少女が、僧から拒絶され、ついには蛇となって追いかけます。その後、蛇は道成寺の鐘に巻きついて、鐘の中に隠れた僧を焼き殺してしまうという、ドラマティックな物語です。

 こうして並べてみますと、これら3つの蛇にまつわる物語や伝説は、どうやら人間の原罪、嫉妬と深く結びついているようです。

短詩に登場する蛇

 最後に、蛇は、短詩の世界では、どのように詠まれてきたのでしょうか。

まずは、短歌です。

  石亀の生める卵をくちなはが
       待ちわびながら呑むことそ聞け       斎藤茂吉
             (筆者注:「くちなは」は蛇の異称)

 茂吉ほど、多くの人々に読まれている近代歌人は、他にはいないのではないでしょうか。
 茂吉の歌つくりとしての姿勢は、ただ「写生」を忘れなければいい、と茂吉自身が言っております。
  石亀の歌も、茂吉が写生に徹して生まれた一首と言えるでしょう。
 
 この歌は、弱肉強食の惨さと背中合わせの歌で、舌なめずりをしている蛇の姿を彷彿するよう見事に描き出しているのです。

次に俳句です。

   蛇逃げて我を見し眼の草に残る        高浜虚子

 大抵の小動物は、人間に出会うと恐れて逃げ出すのです。蛇も同様に逃げ出します。虚子の観察では、逃げ出そうとする蛇が、一瞬その場に立ち止まり。虚子を見つめたと感じて、この句が生まれたのだと思います。

   草の中に蛇の目が残るとは、印象的な句だと思います。

草むらに蛇はいるかな?

 最後は川柳です。

   笛にまた騙されて出る壺の蛇       高杉鬼遊

 私は、蛇に音楽を聞き分ける能力はないと思っておりましたが、アラビアやインドでは、笛を吹いて蛇を踊らせている光景をよく見受けます。私はこれをみた時は、さすがに驚きました。作者も私と同じように驚いてこの句を作ったことでしょう。

へび使いになりたい

 最後の最後に、私の短詩を並べてみました。

   ニシキヘビ首に巻きつけにっこりと
       聞けばあの女(ひと)巳年の生まれ    短歌

   山の田はくちなはを呑み戦(そよ)ぐかな   俳句

   ハブ捕獲できて駐在一人前    川柳 

 
【参考文献】
 宮本佳子『朝日歌壇 令和6年11月10日 佐々木幸綱選』


いいなと思ったら応援しよう!